書誌情報
著者:戸矢 学(とや まなぶ)
出版社:河出書房新社
発行年:2010年9月18日(単行本)/2024年1月10日(文庫版)
価格:990円(税込・文庫版)
ジャンル:日本古代史・神話学・宗教史
ヒルコ――棄てられた謎の神
『ヒルコ――棄てられた謎の神』。
この本は、日本神話のなかでも、ひっそりと、
そして不可解な扱いを受けた神、ヒルコに焦点を当てています。
「棄てられた神」。
そう呼ばれた存在の背後には、
単なる失敗作ではない、深い物語と、多様な文化の記憶が眠っていました。
著者・戸矢学は、ヒルコをめぐる数々の伝承や信仰をたどり、
古代日本の宗教観、建国神話の成り立ち、そして列島に生きた人々の息づかいを探ろうとします。
海人族、エビス神、太陽信仰、渡来伝説、徐福――。
それらの断片を拾い集めながら、
失われた神の正体を、静かに、粘り強く浮かび上がらせていくのです。
まえがき ヒルコから始まる根源の系譜
物語は、海へと流される小さな神から始まる。
ヒルコ――。
イザナギとイザナミ、ふたつの神から最初に生まれたはずの存在。
けれども、その身体は「正しくなかった」。
『古事記』も『日本書紀』も、
ヒルコの誕生をそっと記して、
そして冷たく、遠ざける。
葦舟に乗せられ、海へ流されていったヒルコ。
棄てられた神。
その運命は、日本神話の奥底に潜む、
浄化と再生の思想を、静かに照らし出している。
なぜ神は、棄てられなければならなかったのか。
ヒルコの物語は、ただの「失敗作」の物語ではない。
そこには、異質なものへの恐れと、
それでもなお、異質なものを受け入れ、再生へと導こうとする、
古代人たちの深い葛藤が宿っている。
やがてヒルコは、恵比寿神へと姿を変え、
福をもたらす神として祀られるようになる。
棄てられた者が、救いをもたらす者へと変わる、
この転生の物語こそ、日本神話の隠されたもう一つの系譜だ。
本書は、ヒルコという小さな舟に乗った神を起点に、
日本神話が隠し持つ「問い」へと漕ぎ出していく。
なぜ神は棄てられるのか。
そして、棄てられた神は、どのように甦るのか。
第1章 流された神・ヒルコの謎――漂着神話に由来するエビスと隼人
海へと流された、小さな神のことを、私たちはどれだけ覚えているだろうか。
イザナギとイザナミ。
天地を生み出したふたりの神から、最初に生まれたヒルコ。
しかし、その身体は「正しくない」とされ、
葦の舟に乗せられて、ひっそりと海へと流された。
ヒルコの物語は、ただの神話的な失敗談ではない。
そこには、日本列島に息づく「浄化」や「再生」の深い思想、
そして、流れ者や漂着者を神格化する、
古代の人々の静かな祈りが滲んでいる。
ヒルコと海人族・エビス神
海を渡ったヒルコは、どこへ辿り着いたのか。
古い伝承によれば、彼は摂津の国、西宮に漂着し、
やがて海の神、エビスとして祀られるようになったという。
エビス神。
海の向こうから訪れる福の神。
漂着し、異界から戻ってきた者。
網に宿る神。
浮子に宿る神。
漁民たちは、ヒルコ=エビスに、
豊かな海と、恵みの訪れを祈り続けた。
異質なものを恐れず、
流れ着いたものを神と仰ぐ、
それは、列島に生きる人々の、古い智慧だった。
南九州・隼人伝承との結びつき
南へ、さらに南へ。
ヒルコの漂流譚は、
南九州の隼人たちの伝承とも、不思議に響き合う。
隼人――海を渡ってきた人々。
外来者を祖に持つと語り伝える民。
流れ着いた者。
異界から来た者。
それを祖と仰ぎ、祀る文化。
ヒルコの姿は、
彼らの祖霊観や、海人文化の深層に、静かに溶け込んでいった。
第2章 太陽の化身・オオヒルメの謎――海人族が奉戴した八幡神の母
ヒルコが海に流されたその先で、空には、もうひとつの大いなる存在が光っていた。
オオヒルメ。
「大いなる日(ひ)の女(め)」。
『日本書紀』では、天照大神の別名とされるこの神は、
古代の人々にとって、ただの太陽神ではなかった。
生命を育み、秩序をもたらし、
そしてときに、人の世を見守る厳しさを持つ、
そんな、根源的な力の化身だった。
オオヒルメ(天照大神)の正体と太陽神信仰
オオヒルメは女神か、それとも男神か。
古代には、そんな問いすら、たびたび交わされた。
太陽。
その輝きの背後に、性別を超えた存在が想像されたのは、
自然なことだったのかもしれない。
農耕社会にとって、太陽はすべてだった。
光は命を育み、季節を告げ、
大地を豊かにする恵みをもたらした。
だからこそ、オオヒルメは、
単なる女神でも、単なる皇祖神でもない。
列島に生きる人々の、祈りと畏れをすべて受け止める、
広大な存在となった。
海人族とオオヒルメ
海からやってきた者たち。
熊野、紀伊、九州沿岸。
彼ら――海人族は、山を仰ぎ、海を敬い、
そこに宿る精霊たちと、密やかに交わった。
太陽もまた、その自然のひとつだった。
熊野にも、宇佐にも。
彼らはオオヒルメを迎え、祀った。
海を渡ってくる神、
漂着する神。
オオヒルメの姿は、
ヒルコと同じく、「来訪神」の性格を帯び、
人々の信仰の中に深く根を下ろしていった。
八幡神の母としてのオオヒルメ
宇佐。
そこに祀られた八幡神。
やがて武士たちに崇敬され、
日本中に広まったこの神にも、
オオヒルメは、密やかに寄り添っていた。
八幡神の母。
生み出し、送り出し、見守る存在。
太陽がすべての命を育むように、
オオヒルメもまた、
新たな秩序と平和の種をこの地上に蒔いたのだった。
お待たせしました!
田美智男さん風に、すこし自由に、けれど芯は外さずまとめました。
第3章 「丹」をつかさどる神・ワカヒルメの謎――銅鐸は紀氏一族の祭器か
光り輝く太陽の神とはまた違う、
地に根ざした、秘められた力があった。
その名は、ワカヒルメ。
神話のはざまにひそむこの女神は、
糸を紡ぎ、布を織り、
そして赤く燃える「丹」を操る、
もうひとつの世界の守り手だった。
ワカヒルメの神格と役割
ワカヒルメ。
その姿は、アマテラスの妹とも、分身とも語られる。
生田神社、玉津島神社――
紀伊の地に、今も名を残すこの女神は、
もともと神戸氏や紀氏といった、有力な氏族の守護神だったとされる。
ただの機織りの女神ではない。
布を織るという行為そのものが、
世界を織りあげる聖なる営みだった。
細く、細く、
見えない糸で、この世とあの世をつなぐ。
そんな存在だったのかもしれない。
「丹」(朱)との関係
赤い色。
それは、命を意味し、
死を封じ、
呪力をたたえた。
ワカヒルメは、朱――すなわち丹を司る神でもあった。
古代の巫女たちは、
その顔を、胸を、赤く染め、
神と交信したという。
水銀朱。
血のように鮮やかなその顔料は、
ただの装飾ではなかった。
稲作の豊穣を願い、
死者の魂を鎮め、
大地と生命の循環を祈る、
祈祷の色だった。
銅鐸と紀氏一族の祭器説
そして――銅鐸。
弥生の空に、かすかに鳴り響いたその音は、
農耕と、死と、再生を告げるものだった。
やがて銅鐸は、
音を響かせるためのものから、
見るための、祀るための神聖な器へと変わっていった。
和歌山、紀伊、そして西日本一帯。
その中心にいたのが、
紀氏一族だったといわれている。
ワカヒルメを祀った土地に、
銅鐸が眠っている。
それは偶然だろうか。
赤く染めた丹と、
青銅の鈍い輝きと。
ふたつの聖なる道具は、
同じ祈りのもとに捧げられていたのかもしれない。
第4章 北極星となった神・アメノミナカヌシの謎――呉太伯伝説は海を越えて
この国には、動かないものを中心に据えるという、
不思議な知恵があった。
天の真ん中に輝く星。
そして、
その星のごとき神。
アメノミナカヌシとヒルコの関係
『古事記』の幕開けに登場するアメノミナカヌシ――
すべての始まりに、静かに、ただそこに在った神。
一方、イザナギとイザナミから生まれたヒルコは、
「正しくないもの」とされ、
葦舟に乗せられて流されていく。
流されたヒルコ、
動かざるアメノミナカヌシ。
この対比は単なる偶然ではない。
秩序の中心に踏みとどまった神と、
そこからあふれ、
外に押し出された存在。
それでもヒルコは、
流浪の果てにエビス神として復権する。
失敗と流転の末に、
もう一度、
中心へと呼び戻される。
そんな神話的循環が、
ここには仕込まれている。
北極星信仰とアメノミナカヌシ
やがてアメノミナカヌシは、
天の中心――北極星そのものと重ねられるようになる。
動かない星。
いつもそこにあり、
夜空の海を渡る者たちの目印となる星。
海を生業とした者たちにとって、
それは命の星だった。
この信仰は国家レベルにも広がり、
天武天皇による陰陽道の整備、
宮中祭祀における北辰信仰へとつながっていく。
アメノミナカヌシは、
単なる神話の神ではなく、
「天の法則」そのものの象徴へと昇華していった。
呉太伯伝説と海を越えた神話交流
一方、
海の向こうからも、風が吹いてきた。
中国・周の王族、呉太伯。
彼は王位を譲り、南へと旅立ち、
そして呉という国を建てたという。
この伝説は日本にも渡り、
呉太伯が稲作や文化を携え、
列島に新しい命を吹き込んだという話へと変わる。
北極星を仰ぎ、
海を渡った者たち。
天帝思想と、
この国古来の「中心神」アメノミナカヌシは、
こうして静かに交わり、
混じり合った。
第5章 降臨する現人神・スサノヲの謎――渡来神話が示す歴史的事実
海を越え、
風に押され、
神がやってきた。
その名は、スサノヲ。
渡来伝承とスサノヲ
『日本書紀』には、奇妙な記述がある。
スサノヲは、
新羅から土の舟に乗ってやってきた、と。
そして、紀伊へ。出雲へ。
荒れ狂うように、海と陸を渡り歩いた。
これはただの神話だろうか?
いや、違う。
そこには、
古代の渡来人たちが、
海を越え、
鉄と技術と文化を運びこんだ痕跡が、
色濃く滲んでいる。
製鉄。
航海術。
新たな稲作技術。
スサノヲの降臨伝承は、
まぎれもなく、
彼ら「外から来た者たち」の歴史の影を映している。
ヒルコとスサノヲの関係
流されるヒルコ。
追放されるスサノヲ。
どちらも、
本来の世界からはみ出し、
海へと放り出された神だった。
だが彼らは、
さまよいながらも、
異郷で新たな役割を得た。
漂着神。
渡来神。
外から来た者が、
土地に根を下ろし、
やがて神となる。
この物語のパターンは、
日本神話の底流に、
深く深く、
織り込まれている。
渡来系集団の役割
海を渡ったのは、神々だけではない。
製鉄の民、紀氏。
養蚕と技術を携えた秦氏。
海を知り、潮を読む海人たち。
彼らは、
海の向こうから文化を運び、
神を連れ、
日本列島に新しい光をもたらした。
スサノヲの降臨神話は、
ただの幻想ではない。
それは、
渡来人たちの実在と、
その記憶の、
神話という形をとった痕跡なのだ。
増補最終章 その後のヒルコ――「蓬莱山」をめざして
葦船に乗せられ、
波間に漂った神がいた。
名前は、ヒルコ。
棄てられた神。
それでも、漂いながら、別の命を得た神。
ヒルコ神話のその後
生まれながらにして、
「不完全」の烙印を押されたヒルコ。
だが海を越え、
人々の祈りを受け、
彼は福神となった。
エビスとして、
漁村に、
商いの町に、
新しい顔で帰ってきた。
棄てられた神が、
福をもたらす神に変わる。
それは、どこか日本人の祈り方に、よく似ている。
蓬莱山伝説との関係
海の向こうに、
理想郷があると信じた。
不老不死の楽園。
永遠の春が続く国。
それが蓬莱山だった。
ヒルコが流れ着いた先も、
そんな「常世」だったのかもしれない。
漂着する者、外から来る者――
彼らは恐れられ、
同時に希望の種でもあった。
ヒルコの物語と蓬莱山伝説は、
静かに、だが確かに、
響き合っている。
徐福伝説との関連
さらに海を越えて、
徐福という名の男がやってきた。
秦の始皇帝の命を受け、
不老不死の霊薬を求め、
東の果て、日本へと。
農耕を教え、
医術を伝え、
新しい技を根づかせたという。
外から来た者が、
土地に福をもたらす。
ここにも、ヒルコに通じる漂泊の夢があった。
ヒルコの受容と変容
「日子(ヒコ)」は「蛭子(ヒルコ)」へ。
姿を変え、
意味を変え、
それでも語り継がれていく。
ヒルコは、
ただの棄てられた神ではない。
変わりながら、
時に福神に、
時に漂泊者に、
日本人の心に寄り添い続けた存在だった。
『ヒルコ――棄てられた謎の神』まとめ
葦船に乗せられ、
名もなき海へと流された神――ヒルコ。
本書は、この「棄てられた神」の謎に、そっと手を伸ばす一冊です。
ヒルコは、イザナギとイザナミの最初の子。
しかし、体が不完全だったがために、神々の系譜から外され、流されてしまいます。
それは悲劇であり、同時に、日本神話における浄化と再生の物語のはじまりでもありました。
やがてヒルコは、エビス神と習合し、
漁業や商売繁盛をもたらす福の神へと変わっていきます。
本書では、そんなヒルコの変遷を――
-
エビス信仰
-
海人族の漂着神伝承
-
太陽信仰
-
渡来伝説
-
徐福神話
――こうした多層的な視点から読み解いていきます。
「流される神」が、
やがて海の向こうの福を運ぶ神へと姿を変える。
その過程には、
外来者を恐れ、同時に受け入れていく列島の社会の姿が映っています。
また、蓬莱山や徐福伝説といった中国からの神仙思想との交錯にも目を向け、
日本列島における信仰と文化の重層性を浮かび上がらせます。
ヒルコの物語は、
建国神話の原風景に潜む、
異文化と異系統の神々の出会いと再生の物語。
棄てられた神が、
流れ着いた先で福神となる。
そこには、日本神話の奥深さと、
列島社会の包容力、
そして、忘れられた者たちへの静かな祈りが、たしかに息づいているのです。
