コンピューター関連の仕事をしていると、新しい開発を、やるのかやらないのかという場面で、誰も決めきれず、停滞した議論が続く場面に出くわすことがあります。

議論百出と言えば聞こえはいいけれど、そういう状況で交わされる意見で共通しているのは、当初の目的を見失っていること。そして、誰も責任をとるつもりがないこと。

開発して何かに役立てようという当初の創造的な意欲はどこへやら。議論することに全力を注ぐという本末転倒な状態となり、大概の場合、うやむやのまま先送りとなります。

結局、そんなに大事な開発ではなかったということでしょう。

これは自分自身の生き方に置き換えても、成り立つなと思いました。

何かやろうと決めようとした時、あれやこれや決めない理由が、山のように浮かび、結局決めきれない。

多分、やりたいと思った動機や目的が、自分自身のものとして腹落ちしてないのと、それをやることに対する責任を自分がとることに納得していないのだと思います。

だから、そんな時は、決められない理由を浮かべる自分を責めるのではなく、何故やろうと思ったのか、それは、本当に自分がやりたいと思ったことなのか、誰かに影響されたり、誰かのためと他者を引き合いに出して思いついたことではないのかと、心に問い直すことにしています。

仕事を通して、自分のウィークポイントが学べることもあるのだなと感じつつ、会社では、決めきれない人に、決められやすくなるような情報や資料を黙々と差し出しつづける、今日この頃です。