思いつくままに

思いつくままに

何となく疑問に感じたことや納得できないことを自分で腑に落とすために書いてるようなもんです。

今日、草取りをしながら思い浮かんだ。夏の高校野球地方予選が始まるとニュースで見た後だったからなのか、草取りをしてると高校球児が甲子園で土を集めて持っていくシーンが漠然と浮かぶと執念という言葉が思い浮かんだ。


毎日のように執着って事を書いていたからなのか…執念と執着、似たような言葉だと思ったが、執着はどことなくマイナスイメージ。執念も使い方によってはマイナスかもかれないが、その時浮かんだのは、甲子園目指してどうしても負けたくないって高校球児のイメージだった。

打者なら打席で絶対ヒットを打って出塁したい。もしかするとフォアボールでも出塁したいかもしれない。ましてや、この場面で一打同点とか逆転の場面なら尚更ヒットを打ちたいという執念があるのでは?と思う。ピッチャーなら絶対打たせまいとするだろう。

この場合、投打とも一球にかける執念!とは言っても、一球にかける執着とは言わない。


辞書で調べると

執念…ある一つのことを深く思いつめる心。執着してそこから動かない心。ん、ここで執着?

執着…一つのことに心をとらわれて、そこから離れられないこと。


どんな差があるのかよくわからない。執念は深く思いつめる心。執着はそこから離れられないこと。

ここが微妙に違うのか?

深く思いつめる心を、高校球児だとすると、その一球をどうしても打ちたい一心、あるいはどうしても抑えたい一心。純粋な思いに感じられる。


これが、そこから離れられないこととなると、高校球児に例えるのが難しい。その一球から離れられない?どういうこと?となる。ボールから離れられないのか?


となると刑事が犯人を捕まえようとする執念!も理解できる。まさか、犯人を捕まえる執着とは言わない。


要するに心の問題か?打者の立場に限って言えば、どうしてもヒットを打つんだ!という思いで、投げられたボールに集中して振るバットと、勝ちたい勝ちたいという思いから離れられず、投げられたボールを振るバットでは違うのか?


こう例えると違いがわかりそうな気もするけど、刑事と犯人だと分かりにくいな。根底にあるのは捕まえるという気持ちだけ。執念…捕まえたい一心。執着…何から離れられないんだろう?犯人から離れられないのか?と考えてしまう。


ただ1つ気づいたのはとすれば、執着はゼロにするんじゃなく、1つのことにとらわれて離れられないというなら、離せばいいってことだけか。

ゼロにはならなくても気持ちは軽くなるってことだ。


何となく書いてて感じるのは、執念は純粋で、執着は邪念が入りそうだってこと。

執念は事の良し悪しに関わらず純粋に一途。でも、執着はネチネチと邪念が入りそう。

それも確たる根拠があるわけじゃないけど。


この違いがわかるのは心理学者なのかな…凡人には不明とするしかないな。あまりに難しいから読み返しもやめた(笑)