誰かが見上げたその日の空はとても深く、まるで突き抜けるような蒼さだった。
嗚呼、やはり吸い込まれそうだ。
そうしてどこかの誰かが目を細めながら眺める空の続く先、皇都アルザビの中心である皇宮の前、白い石畳が幾何学模様に敷かれた前庭は異様な雰囲気となっていた。
一面を埋める青いメガス装束の一団は皇国の恐怖の代名詞とも言われる不滅隊であり、その数は国中から集結したのではないかと思われる程だった。
最前に立つ男が皇宮より現れた白服の少女の姿を認めて声を上げる。
「聖皇陛下に敬礼」
その声で犇めく一団が、音も揃うほど一斉に頭を垂れる光景は壮観の一言だろう。
しかしながら、敬礼を受けた少女はたじろいだ。
助けを求めるように見る相手は腹心である天蛇将である。彼はこの異様な騒ぎに何事かと泡を喰い、自身の持ち場から駆けつけていたのだ。今、聖皇陛下の身を護れるのは五蛇将において他にない。その自負の元に。
目の前で起きたのは異変と言っても良いだろう。貴族の出であり、皇宮内の儀礼にも少しは通じる天蛇将ルガジーンだが、警戒を強めるだけで、残念ながら彼女へと返せる答えは持ち合わせてはいなかった。
高らかに号令を掛けた男が一歩進み出る。不滅隊の隊長ラウバーンが。
そうして跪き少女に告げるのだ。
「我らが忠誠をお受け下さい。正当なるザッハークの後継者たる方」
「どういう事なの?」
まるで世界が変わってしまった様だと彼女が感じるのも無理はない。
先日まで不滅隊は宰相ラズファードの忠実なる手駒であったからだ。
「畏れながら陛下。我ら不滅隊はザッハークの印を持つ者に絶対の忠誠を誓っております。
 印をお持ちであった丞相が事故で身罷られた今、我らの主は陛下の他にごさいませぬ」
「あのっ、ちょっと待ってラウバーン。兄さまが事故と言ったの?」
「そのように申し上げました。ナイズル島の上層より転落されたとの事です」
ラウバーンは淡々と言い、それがどこか不気味だった。
何か企んでいるのではないかとルガジーンが疑い、
「本当の話か?」
と、確認したくなるのも頷ける程に。
「あの用心深い丞相が転落とは、俄かには信じられぬ話だが」
「信用できぬは道理。だが事実」
頭部を覆うメガスケフィエの奥から覗く褐色の瞳はすでに予想通りであるように相手を見る。小馬鹿にしているようにも感じられるのは、尊大さが声の端々の表れているからであろう。

「証拠は何かあるのか?」

そう問いを重ねるルガジーンに応えたのは別の声だった。
「嘘じゃねぇぜ。俺が証人だ」
その声は不滅隊士の列の後ろから聞こえており、不滅隊士の間を割って歩く男のその姿は、青空に一点瞬く紅い星の様に見えた。
振り返ってラウバーンはその男を見、自分を追い越して前に行くのを視線で追った。
生きていたか。共に落ちたはずだが。
それには驚きと共に、何を言い出す気だとの疑いを持っていたが、転落したことを否定しない様子であったため、ここで遮る方が面倒になると予測しラウバーンは言葉を譲っていた。
「ガダラル!」
心配したと説明せずともわかる表情で、天蛇将は部下の名を呼んだ。
「情けねー顔しやがって」と、余計な一言を言ってから要点に入るのは炎蛇将の悪い癖だ。
「確認作業の為、帰還が遅れた。報告する。

 宰相ラズファード殿は三日前の十五時二十分頃、陛下よりの親書を読んだ直後、我が眼前で身を投げられた。何を考えての事かは分からぬが、帰順するにはそれが最後の機会であり手段であったと推測される。証拠に首を取ってこようかとも思ったが、遺体は誰かも分からぬ潰れたチゴーの様な状態だった為遠慮した。死亡は確認した」

「……そんなっ」

少女はよろめき、へたりと座り込みそうになったのを天蛇将が支える。

「陛下、貴方の兄上は貴方の心に応えられた。戦乱を避ける道を選ばれた。立派な方だった」

ガダラルは神妙にそう言い、進み出て小さな黒い革袋を差し出す。少女の手に渡ったその中には蛇王ザッハークを象った玉璽が収められていた。

国家全権の証たるそれは、現在宰相が自分の首の様に大切に肌身離さず持っている事を皇宮の誰もが知っており、それがここにある意味も察しが付く処だった。

「……そう、よね……。兄さまは……。でも……」

「お気を確かに」

「ルガジーン? わらわは大丈夫です。うん、大丈夫だから平気。そうよ、ルザフ。彼はどうしました」

ザッハークの印を握りしめながら、彼女はそう言い涙に潤む青い瞳をラウバーンに向けた。 

「彼に非道な真似は許しません」

威厳ある声でそう命じられて、ラウバーンは上げていた顔を再び地に伏せた。

「ナイズル島の人造魔笛の力にて幽閉されております」

「即刻止めさせなさい。わらわの名によってルザフを皇宮に招待します。失礼の無いように」

「御意に」

「そうよ、一杯お花で飾って、ルザフを迎えてあげるのよ。きっと、きっと喜んでくれるはずよ」

そう言いながらも今にも泣きだしそうな彼女に、心情を慮ったルガジーンがそっと優しく相槌を打つ。

「そうですね。さぁ、もう参りましょう。ガダラル、後を頼む」

「あぁ、蛮族のお守りならやっといてやる」

腕組みをしながらそう返すガダラルは、先程の神妙さが嘘のような不敵な笑みを浮かべた。

「皇都を護れと、あいつにも頼まれたしな」

そんな呟きをしながらも、

「待てよ、ラウバーン」

名指しで呼び止めた相手を見るガダラルの瞳は氷の冷たさを持った。

「三文芝居ご苦労。貴様がなぜ生きているかは聞くまい」

そうして見返すラウバーンの、蛙を睨む蛇の眼光がガダラルを捉えていた。

「ハ、聞いていけよ。俺への愛が守ってくれたと、たーっぷり教えてやるぜ?」

この期に及んで減らず口を叩く、とラウバーンは不快さを募らせた。この男はどうしても気に入らないのだ。

「下らん戯言を聞く暇は無い。だが貴様が生きているということは……ご健在か?」

聞き終わらぬうちにガダラルの顔は瞬時に怒りに満ち、尊大な不滅隊隊長の胸倉を両手で掴み挙げていた。

「ッ、よくもぬけぬけと! あいつの首をへし折ったのは貴様だろうがッ。

 あいつが常々、平和を平和をって馬鹿みたいに言っていたから下らぬ芝居もしてやった。貴様に乗ってやったのでは断じて無いッ」

「ほう。ならばどうする」

容易く胸倉を掴む腕を払い、復讐に眼をぎらつかせる男の胸中を見下す様にラウバーンは問う。

短いながら嫌な沈黙が横たわり、暫く睨み合いが続いた。

「俺の前に二度と現れるんじゃねェ。次は消し炭にしてやる……」

唾棄するように言い捨ててガダラルは踵を返し、その場を後にする。その様子はラウバーンの心を満足させるに十分だったが、同時に一つの思いも引き起こしていた。

やはりあの方は亡くなられたか。

自分で手を下したと言うのに胸に去来した感情は何とも形容しがたい物で、この不死の魔物を戸惑わせる。

炎蛇将が関わるとあの方は浅慮で幼くなられた、とラウバーンは苦々しく思い返す。それはまるで走馬灯のように思い出されていた。

女装して会いに赴かれた時など、その迎えを任されながら部下として情け無ささえ覚えたものだ。

これ以上無様な姿を見たく無かった。宰相ラズファードは冠無き聖皇として国家の頂点に立ち、不滅隊を導く力強き光でなければならない。

あぁ、それなのにあの脆弱な炎ごときにかどわかされたのだ。

そう思う胸にあったのはうずくような鈍い痛みであるのだが、それが喪失感だと気づくには死に親しみを持つ人外である時間が長すぎたようだった。

ラウバーンはそうして胸に蟠る思いを理解する事も無く蓋をして封じたのだ。

本日の空はやはり深い蒼だった。雲一つない。

天蛇将に戦場を任されたガダラルは皇宮から五蛇将の持ち場、アルザビの人民街区へと、地下連絡通路をチョコボで駆け抜けていた。仄暗い地下から出れば、強い陽の光の中眼前に街並みと空が広がり、眩しさに彼の目を細めさせた。

連絡を受けて出迎えに来ていた髭の副官に命令を一つ二つ言いつけ、慌ただしくするその姿が側から無くなってからガダラルはため息を漏らした。

「あー畜生」

この先、天蛇将が確固たる地位を固めて皇国の中心に食い込むのであれば、あの蒼獅子の頭とはまた会うだろう。消し炭にとは言ったが会う度に威嚇し牙を見せるのは正直面倒な事だ。……だが、あそこで怒らないのは自分ではない。

寧ろ事情を知られれば、よくファイガも唱えず思い留まったとルガジーンに涙ながらに言われそうな程だろう。

実際の所あの不滅隊隊長に対しては、腸の煮えくり返る思いが確実にある。

もう偶然と言っても良い出来事だ。殺気に敏感なあの人が瞬間振り向かなければ、兜が飛ばなければ、ガダラルが咄嗟にその肩を押していなければ、兜ごとあの首はもげていた筈であり、箱庭の中に移送魔法で送ったとしても助けられはしなかった。

もしもそうなっていたら? 

想像は全身の血を凍らせて、余りの低温に空気に触れた所からごぽごぽと沸騰するのが分かる。

強張る手でナイズル島での戦いの痕をそのまま残す籠手の上から右腕を撫でると、昨晩の体温が思い出されてゆっくりと心に温かみが戻る。

一日と一晩着衣も許さず腕の中に捕らえた相手は、乱れたガダラルの髪を撫で梳かしながら天窓から覗く今朝の空を見上げて、嗚呼、吸い込まれそうだなどと子供のような顔で呑気に呟いていた。

世間知らずな稚さが折々につけてふと顔を見せるのは、正直心臓に悪い。

あの残念宰相め。

片手で顔を隠す様に覆い、ガダラルは頬を染めて立ち止まる。人に見咎められればどのように言い訳するか、悲しみの余り泣きそうになっていたとでも言えばいいのか等と考えながらも、暫くスタンを掛けられたままガダラルはそこにいた。