わたモテ語り 『喪102 モテないしいつかの冬休み』 | オーシャンズロデオ

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※様々なものに性的な目を向けているブログです。ご気分を害されるかもしれませんので、閲覧は自己責任でお願いいたします。

 絶賛ガンハマリ中の『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』。

 今回は既刊わたモテの中でも1,2を争うほどのお気に入り回を語っていこうと思います。

 それは11巻、『喪102 モテないしいつかの冬休み』。

 時期的にはもこっちが精一杯がんばった修学旅行からしばらく経った2年生の冬休み初日の話。修学旅行のおかげですでに学校内で会話したり一緒に登校したりできる田村さんや真子ちゃん、吉田さんなどの仲間に囲まれ、うっちーに意識され、小宮山さんやネモ等従来のキャラクターも顔を出し、周囲がとても賑やかになってきた時期に、久々にもこっちが家でくつろぐお話です。

 

 まずオープニングからして綺麗。もこっちが目覚める1ページで始まり、

 扉絵、ぬいぐるみを抱えて階段を降りるもこっちのイラストに繋がって、

 同時にタイトルの表示。

 そこから居間で電話をするお母さんの声が聞こえて……

 と、状況描写に移ります。

 この、扉絵を単なるイメージ映像ではなく連続したシーンの一部分として印象的に描く手法は『喪95 モテないし秋の終わり』や『喪99 モテないし友達の友達』、『喪106 モテないし最後の冬』などでも使われていますが漫画のはじまりとして非常に美しい流れ。漫画というより映画のオープニングの手法に近いと思います。

 

 そして今日一日のあいだ両親が出かけることとなり、家を自由に使えることになったもこっちは……

 コタツで一日ゲームするかと考えかけるも、温泉と鍋の特集を見て考えを改めます。

 

 そしてわざわざスーパーへ買い物に行き、入浴剤と鍋の具材を購入。あとおかしもw

 買ったものを抱えて帰途につくもこっちの表情はかつてないほど活き活きしており、目にハイライトまでかかってます。そんなに風呂と鍋が楽しみなのか……

 

 家に着くともこっちは上手でないながらも具材を切り、風呂と鍋の用意をします。

 

 そうしているうちに智貴が帰宅。

 このあとの工程をすべて押し付けたとはいえ、夕飯の支度をあらかた済ませたことでどことなく自慢げなもこっち。もこっちはもうすっかり弟の智貴よりも断然背が低く隣に並ぶとまるで妹のようなんですが、この時は玄関の弟を見下ろすような位置取りになっているので姉らしさがやや戻ってきているような印象です。

 

 そして入浴剤を入れた風呂を満喫し、風呂あがりに弟に命令。

 風呂を堪能し(バブみを感じる…というギャグも忘れずw)、鍋も準備万端。やりたかったことをすべて順調にやっていっているもこっちは、ここでさらにテレビを付けます。 

 再生が始まったのはアニメ映画でした。

 ここで本来の目的は単純に鍋ではなく、『コタツで鍋を食いながらアニメ映画を見ること』だったことが明かされます。

 

 その後もアニメを見ながら鍋をつつくもこっち。

 珍しく常に笑顔を見せています。引きつった笑いではなく自然な微笑み。風呂でバブの泡にまたがるシーンを除き、買い物の最中からずっともこっちは笑顔のままです。

 弟に対する軽口と、それを一蹴する智貴のテンポがいいw

 

 と、ここで智貴が自分から口を開きます。「このアニメ見覚えがある」と。

 そう、このアニメはもこっちと智貴が昔見ていたシリーズのものでした。

 それを思い出したのか、テレビを見ながら、「いつかの夏休みや冬休み」への感慨に耽るもこっち。

 そして智貴も、

 もこっちと同じ方向を向いて、回想をめぐらせます。

 

 楽しかったあの頃の思い出。

 そう、今日のもこっちが本当にやりたかったのは『コタツに入って鍋を食いながらアニメを見ること』でもありませんでした。

 もこっちが本当に欲していたのは、『楽しかったいつかの夏休みや冬休みと同じように過ごすこと』。それがここで明らかになる構成になってます。

 

 そしてそれを示唆するかのように、今回のこれまでのもこっちの行動や状況には、過去と共通する要素が多く表れていました。

 運動を終えて帰ってきた弟を、家でダラついていた自分が高い位置から出迎えて……

 

 弟に食事の案内をし……

 

 ローテーブルに腰を下ろし、テレビの正面に自分が、左側に弟が座り、ともにアニメを見る……

 

 もこっちはそういう時間を過ごしたかったんです。

 いやすべてを再現しようとしてやったわけではなくもこっちの懐古の気持ちを表すためにそういう構図になっている、という感じではあると思いますが、もこっちの望みの本質が『鍋とアニメ』ではなく『楽しかったあの頃』にあるのは間違いありません。

 もこっちに心情を語らせつつ謎を残しておき終盤でそれが明らかになる、という手法は『喪79 モテないし自由行動する』でも使われていましたが、ここではそれが二重構造で展開されているという、非常に丁寧なシナリオ。お話として美しさすら覚えます。

 

 特にローテーブルを使っての食事というのが、おそらくもこっちにとっては重要なところだったと思います。

 現在の黒木家での食事シーンを見てみると…

 あまり食事シーンが多くない(特に夕食シーンは少ない)のでわかりませんが、描かれているのを見る限りは朝食も夕食もダイニングテーブルでとっています(左下の鉄板焼きももこっちの背中に椅子が見える)。このダイニングテーブル自体、今回の回想シーンには登場していないので、もこっちが中学生くらいの時に新しく買ったものなのでしょう。

 もこっちにとって、椅子のないローテーブルでの食事は、楽しかったあの頃の象徴のひとつであるのだと想像がつきます。

 それを考えると、

 このワガママにしか見えなかったもこっちの発言にも、また別の、愛おしい感情を覚えます。 

 

 そして、楽しかったあの頃を表す要素はもこっちと智貴のやりとりや席順だけではありません。

 今使っているコップも、あの頃と同じもので……

 

 捨てずにとってある庭の朝顔の鉢植えも、あの当時のまま。

 

 そして冒頭でも、早起きできずにぼんやりしているもこっちと、きっちりと日課をこなしに出かける智貴……という昔と同じ光景がさりげなく繰り広げられていました。

 

 ……もこっちにとって智貴は自分を慕ってくれるかわいいかわいい弟で、もこっちはいまだにその関係を卒業できていません。

 それは『喪75 モテないしおみやげを買う』でも描写されていました。

 かつて弟に喜んでもらえた剣のキーホルダー。

 智貴の机の引き出しにはそれがいくつも投げ込まれており、おそらくもこっちが1年に1回くらい、どこかへ行くたびに買ってきていたことがわかります。

 喪75ではいよいよ「もういらない」と言われてしまいますが、結局もこっちは「やっぱ大人はGUNだよな……」と銃のキーホルダーを買って(ギャグ漫画としてもすばらしいオチ)、その後しっかり渡しています。

 喜ばれないとわかっていても、キーホルダーを買ってきてくれるお姉ちゃんでいたいのです。嫌がらせ半分かもしれませんがw

 

 …というように、もこっちは今も楽しかった弟との思い出の中に生きているところがあります。

 だからこそ、今日、家を自由に使える……昔座っていたテーブルで、昔のように弟と一緒にアニメを見ながらご飯を食べられる、とわかって、

 ここまで嬉しそうな顔が出てしまったのではないでしょうか。

「コタツの部屋に運んでくれ」もそうですが、こういった何気ない台詞や表情や描写が、最初に読んだときと2回目3回目と読み返したときとでまったく違って見えるという作り。わたモテはこういった仕掛けが大量にあるので本当に何度も読み返せる良い漫画だと思います。

 

 そんな具合に幸せに浸っていたもこっちですが、しかし幸せな時間には終わりがあります。

 回想シーンの中で、

 お母さんの叱り声と、それにビクつくもこっちの姿。

 この回においてお母さんは弟との楽しい食事の時間を邪魔する存在、つまりもこっちの懐古を許さない存在として描かれています。

 現在でもお母さんはもこっちにとって厳しい存在であり、「バカなことばかりして!」「ちゃんとしなさい!」「智貴はしっかりやってるのよ」と、うるさいことばかり言います。もちろんそれはもこっちのことを考えての愛情であってもこっち本人もそれを存分に理解しているでしょうし、1年打ち上げ回(特別編2)や一人で買い物回(喪70)などもこっちが前向きなときには優しく力になってくれる娘想いのいいお母さんなんですが、過去の幻想にしがみつきたい後ろ向きの時のもこっちにとっては、ムリヤリそれを中断させられる怖い存在です。

『お母さんいたらできない』とは、こういうことだったんです。

 

 そして智貴の回想が終わり、現在の光景へと移る表現。

 箸を口に入れた横顔のまま、かつての智貴から今の智貴へと移るコマ。美しい場面転換。

 ここで智貴がかつての夏休みや冬休みのことをどう捉えているか明確には描写されませんが、回想の中の智貴はもこっちの回想に出てくる智貴よりもすこし大人びていて、すでに姉のはしゃぎっぷりに冷めているような雰囲気がありました。姉と一緒にアニメを見ながらご飯を食べたあの日々は、智貴にとってはそこまで楽しいものでもなかったのかもしれません。

 が……次のコマでもこっちが、

 智貴と同じ方向を見て、幸せそうな表情で寂しい一言を漏らします。

 このとき2人の視線の先にあるのはテレビですが、一緒に見ているのはそこに映るアニメではなく、過去の思い出です。そして2人とも同じようにテレビの光に顔を照らされています。同じ方向を向いて、同じように光に照らされている……智貴もやはり、かつての思い出を悪くは思っていないのでしょう。少なくとも、懐古に浸る姉の気持ちを否定するつもりはないことは確かです。

 智貴の気持ちを台詞や独白で語らせず、このようにエフェクト等で表現する……非常に繊細な漫画だと思います。

 

 そして、かつてそうだったように、現在の幸せな時間にも終わりが来ます。

 そう、終わってしまいました。アニメがではなく、昔のような幸せな時間が。

 その瞬間、今までずっと笑顔だったもこっちから笑みが消えます。

 

 そして智貴も、テレビから視線を外し、食器を下げてしまいます。

 後ろ髪引かれているようなもこっちの返事。

 ここではもうテレビには何も映っていないので、智貴はスタッフロールの間も一緒に見てくれていたことがわかります。「まぁそういうもんだろ」と言いながらも、姉の懐古に同調し、最後まで付き合ってくれたんです。

 ですが、「まぁそういうもんだろ」の通り、いつまでも過去の思い出だけを見て生きていくわけにはいきません。智貴は席を立ちます。

 

 そして、

 もうアニメの流れない静かなテレビを前に、ごはんを食べ終わってしまった弟のいた場所を見つめるもこっち。

 自分も食べ終わっている(取り皿にも鍋にももうほとんど何も入っていない)のに、「ごちそうさま」ができず、立ち上がることができない……

 このコマはページの1/8もないほどの小さなコマで、コマ割りも淡々としていますが、ここまで悲しさや愛おしさを感じるコマもそうそうありません。ゆっくり読んでいくとここで涙すら出そうになります。『喪70 モテないし一人で買い物する』で映画館から逃げ出して知らない生徒たちに混じって行動するシーンもそうでしたが、感情があふれ出そうなシーンを小さなコマに込めて淡々と送り出すこの谷川ニコというコンビに凄まじさを感じます。

 

 席を立つことができないもこっちは、そのまま今日のアニメ欄のチェックを始めます。

 そして何かを発見し、風呂に入る寸前の弟を引きとめます。

 弟の部活を確認して、乗り気でないところを誘うもこっち。

 その図式は、

 かつての過去から変わっていません。

 自分から離れていってしまう弟、自分と違って前へ未来へと進んでしまう弟を、なんとか引き止めたいというもこっち。弟離れがまったくできていないのです。

 しかし、

 智貴はそれを受け入れ、わざわざ服を着直して姉に付き合ってやります。

 変わらないのはもこっちだけではありません。智貴もまた、最終的には姉に付き合ってやるというスタンスを崩さないのです。これは連載初期からずっとそうですが、この話では特に強調されてます。姉を置いて先に食事を終えるものの、もうちょっと付き合えと言われればしぶしぶながらも付き合ってやるのです。

 

 智貴は姉に対してぶっきらぼうですが、『喪66 モテないし自己暗示をかける』でもこっちが鏡に向かって話しかけるのを見て精神を病みはじめているのではと心配し、頬を張って目を覚めさせようとするなど姉のことを心配もしています。もちろん諸々の要因から血管を浮かせることも多いんですが、根っこのところでは姉を大切に思っているし大好きなのでしょう(登録名も『姉ちゃん』だしw)。

 だからこそ姉のわがままに付き合ってやり、姉の懐古にも同調しているのかもしれません。

 

 さて、楽しかったあの頃の回想は夏の朝食、そして今は冬の夕食でした。夏から冬へ、朝から夜へと、『終わり』を意識させる変化です。 

 しかしもこっちは『終わり』を認めず、弟を連れ出し、コンビニに向かいました。

 その目的は…

 深夜の番組でした。

 そうです。夜が終わっても深夜がある。もこっちはまだ『終わり』にしたくないのです。

 深夜どころか『明日も休み』だと言ってはしゃぐもこっち。

 おそらく深夜番組の視聴にはさすがに智貴も付き合ってくれないでしょう。が、夕食を食べ終わっても智貴は『夜中に出歩く』ことを一緒にしてくれています。終わりを認めず延長戦にしがみつくもこっちに付き合ってやっているのです。

 そんなふうに弟が付き合ってくれるからこそ、「今も十分楽しそう」な笑顔をもこっちは見せてくれているのでしょう。

 単純にゲームセンターCX見ながらアイス食えるから、というのも確実にテンション向上の要因ではあると思いますがw、『コタツで鍋食いたい』と同様にそれは一種の建前で、智貴と一緒の時をもうちょっと過ごせるから、というのがこの笑顔の本質ではないかと思います。

 

 ……だいぶ前、『喪12 モテないし花火に行く』にてもこっちがそういった主旨の独白をしたことがありました。

 この独白自体はあくまでオチの前フリであり、ギャグの前準備として『いい風に言ってる』だけであるかもしれませんが、「誰かと一緒に楽しい時を過ごしたい」というのはもこっちがずっと渇望してきた願いです。

 

 そう、重要なのは行為そのものではありません。

 今回のもこっちも、昔と同じテーブルで同じアニメを見て…と過去の日々をなぞるような行動をしましたが、それが終わってしまっても夜中に弟と出歩くという、過去のトレースではない行為で笑顔になれています。昔の日々を懐かしむ気持ちもあれど、大事なのはそこに弟がいるかどうか。

 これから先も、もこっちが求めれば智貴は了承し、しぶしぶ付き合ってくれるでしょう。剣のキーホルダーもGUNのキーホルダーも、邪魔くさく思いながらも、捨てることはないでしょう。ひょっとしたら智貴のほうが『姉離れできない弟』なのかもしれません。ある意味不健全ともいえるこの姉弟の関係は、それでもとても暖かいので、これから先も変わらずにいてほしいと強く思います。

 

 というわけでお気に入り回の『喪102 モテないしいつかの冬休み』の感想でした。

 いくぶん独自解釈が入ってしまったかもしれませんが、この話は後ろ向きなようで前向きで、それでもやっぱり後ろ向きな、しかし悲しくはないお話。わたモテの中でも1,2を争うほど好きな回です。単品エピソードのみでいったら一番好きかも。

 ちなみにもこっちと智貴をメインに描いた回で次に好きなのが『喪22 モテないし写真を撮る』のプリクラ回。こっちはもうギャグに振り切りまくってて、中盤のネタ準備を経て終盤に一気に畳み掛けてくる構成が最高すぎるので読むたびに笑います。

 では!