犯罪は無くなることを皆願っていながら、毎日当たり前のように起こる。これはなぜなのだろうか。
 だが、こういう矛盾は皮肉にも人間社会に溢れている。

 それは人間は神ではないからだ。神という人間の妄想が仮に実在するとしたらそれは洗練されたとても理性的な存在なのではないか。
 どこかの誰かが誰かを崇拝するとする。その誰かはその人間がどこか絶対的で神に近い存在であると錯覚する。
 しかしその想像から少しでもズレた表現をすると心酔していたはずの誰かは手のひらを返し、その神を攻撃する。そしてこう学習する。この世に神はいないのだと。そしてその思想が犯罪をしてもいいという思考の温床となっているように私は思う。
 ならば我々は間違えないためにどう生きるべきなのだろうか。私の答えは人を信じることをやめ、モノを信じるということだ。

 どういうことかというと簡潔に言えば趣味を持て、とういことだ。
 しかし趣味を持つというのは口で言うのはとても簡単だが、実際は難しい。私にもそう言う苦しい時期があったのでそれはよく分かる。
 しかし私は今沢山の趣味を持っている。そしてそれは一人で悩んだ時期あってこそなのだ。ここで大事なのはただ悩むのではなく、一人で悩むというのがポイントだ。孤独は危険であるが、同時に高尚でもある。
 悩み色々なことを試すうちにだんだん自分の生きる意味というのは見えてくるものだと私は思う。

 そして注意しなければならないのはその対象は人間でないほうが好ましいということだ。これは先に述べたように人間は神ではないからだ。
 例えばアイドルなどのライブに行くのが趣味であるとする。しかし人間は完璧ではないからいつ裏切りに合うかわからない。しかしモノは裏切らない。ある意味モノは神なのだ。
 仮に推しのアイドルを諦められないのなら、それ以外にモノの趣味を持つことをオススメする。
 そういう社会を実現できれば犯罪というものは少なからず減らせるのではないかと私は思う。

 いかがだっただろうか。私は神がいるとすればそれは私たちの脳に住んでいて、無意識下で私たちを絶対的な何かへと導いてくれる存在だと思う。そう、犯罪のないより良い未来へ。

今日も知多ハイボールで乾杯。