かつてチャネリングの先生は言いました。「あなた方の所にはあなた方と同じような悩みや問題を持つ人がやって来るでしょう」
要するにクライアントや出会う人を通して、私達は真に自分自身と向き合い真に癒されているかが試されるということです。
チャネリングクラスの卒業生の中には「それがそうでもないのよね〜」と異論を唱えるセラピストやヒーラーがいます。
初めの頃はかつての自分と同じような問題を抱えた人が来ていたけれど、次第に自分が経験したことのないような問題を抱える人が来るようになったと言います。
自分の経験について語るとき今生を振り返るのが一般的ではありますが、スピリチュアルな観点からすると経験は時空を超えたものとして捉える必要があります。
自分の経験を掘り下げていく過程において時間や場所の制限を設けることは、スピリチュアルの旅をする上でインスピレーションを受ける機会を自ら放棄することになります。
確かに自己の内面の深い場所に降りて行くことは恐れを伴う作業ではありますが、私達一人一人が例外なくスピリチュアルな存在だとの認識を忘れさえしなければ恐怖は薄れるはずです。
ですから「そうでもない」のではなく、未だ蓋をして開けていない秘密が自分の内側にあることを知らせるために目の前のクライアントがいることに気づくか否かで物事は変わってくるでしょう。
見たいものだけを見て見たくないものには固く蓋をする習性や、ふわふわキラキラした世界に入り込むことは自己防衛の役には立ちますが根本の問題解決にはなりません。
私達が抱える身体的・精神的問題は多くの場合スピリチュアル的な理解を深めることで着地点を見出すことが出来ます。
様々な問題や悩みを抱えてやって来る人達に答えや解決策を授けるのが仕事なら私達の一生は短過ぎます。
当然のことですが解決策や答えはクライアント自身が導き出すものであり、それらはインスピレーションによりもたらされるものです。
チャネリングクラスに集まった私達を先生はよく「類は友を呼ぶ」と言っていましたが、お互いが自分自身をより良く知るために映し鏡の役割をしているという意味でもあったと思います。
夫婦・親子・友人・恋人・同僚・上司・部下などあらゆる人間関係において相手の中に受け入れ難いものを見たとしたら、それは自分の中の閉して来た部分を知るチャンスでもあります。
そして自分が経験したことのない悩みや問題を抱えて目の前にいるクライアントは、封印して来た過去と向き合うよう促していると思われます。
たとえセラピストとクライアントの関係でなくとも、自分がその事に気づき抗うことなく向き合うならば「双方」の癒しは驚くほど加速するでしょう。
結局のところ自分にとって最も受け容れ難い存在が自分自身の中にいるってことを認めるまで謎にクライアントが難題を持ってやって来るんじゃないかと思う訳でございますよww