それでは、いよいよ「祈り」の実践編に入っていきたいと思います。
今回わたしが受けている『輝く地球・光の講座』では、レベル毎に課題が出ることは既にお話ししましたが、そのひとつに家系や先祖について知る、というものがあります。
自分の父母、祖父母、できれば曽祖父母の代まで調べ、彼らの人生を通して自分自身を深く知る作業になります。
岩本義明さんのブログをお読みになった方には既知の情報ですが、地球を暗闇で覆ってきた諸悪の根源が、支配層による「松取り」であるということを大前提に進めていく話しになっていきます。
いきなり「松取り」と言われても何のこっちゃですから、ここからしばし「松取り」について説明させていただきます。
「松取り」の松とは人間をはじめとする生き物の脳内にある「松果体」のことであり、「魂の光」がおさめられている体の器官です。
わたしたちは誰もが、光の存在として生きるために肉体を持って地球に生まれて来ていますが、残念ながら松果体が機能不全に陥っているために、本来の生き方をできずにいたり、また魂の目的を忘れて虚無状態になっていたりします。
要するに、松果体が機能しない=覚醒できない=真実に気づけない=嘘に騙され続ける=羊のまま生き続けるという構図ができあがり、支配層が利益を生み出し続けるシステムに繋がっています。
実は「松取り」には松果体の機能を封じる霊的要素と、リアルに松果体を摂取する方法がありまして、ここ数年で一般にも知れ渡ることとなったアドレノクロムもそのひとつです。
「松取り」の事実をご存じの方は、まだそう多くはないと思いますが、自分の先祖や過去生を調べていくと、恐らく多くの方が何らかのかたちで「松取り」に関わっていた事実に突き当たると思います。
かく言うわたしの祖父たちは二人とも「松取り」に関わっていた事が、講座の中で行われたヒプノセラピーによって判明しました。
父方の祖父は役人として満州に赴任していましたが、裏の仕事では「松取り」をしており、また母方の祖父も製材所を営む傍ら、裏では「松取り」に加担しておりました。
二人とも自分自身が松の摂取をすることはなかったようですが、生前は酒飲みで、恐らく「松取り」の闇を頭から払拭するために、酒の力を借りずにはいられなかったと思われます。
飲酒は、死んだ者が生きている人間の体に憑依して飲んでいるという説があり、亡くなった父がアルコールに依存していたのも、満州で病死した祖父が憑依していたと考えられますし、自分がお酒を飲みたくなるのも、恐らく祖父たちや父の影響が強いと考えられます。
講座のレベル1では、祖父たちの所業を認識し、暗闇に閉じ込められたままの魂を解放し、光に還すための「祈り」のワークをしました。
「光と闇」の関係において、闇が深いほど光は大きくなるのですから、祖父たちの魂も闇を経験した分、光り輝くようにならなくてはいけません。
そのためには、今生を生きる自分が闇の仕事を請け負った祖父たちに理解を示し、彼らの気持ちを汲み取り、お疲れ様でしたという感謝の思いとともに光に還るよう促すことが大事だとわかりました。
講師の岩本氏とともに二人に光を下ろし、二人の魂の光を封印している闇を解除し、源の光へ還すエネルギーワークをしたのですが、思いのほかエネルギーを消耗したようで、この日の夜はぐったりとベッドに潜り込んだのでした。
翌日、起きると物凄い頭痛がして思わず頭を抱えてベッドに座り込んでいたら、見覚えのある男性の顔が浮かび、思い出そうと考えていたら、男性の鼻の穴が鳥の嘴に開いている小さな穴に変わり、そして男性はカラスに変わりました。
咄嗟に、講座の終了間際に岩本氏からわたしも「八咫烏」だと告げられたことを思い出したのですが(「八咫烏」についても追々触れていけたらと思います)、とにかく頭痛を何とかしようと常備しているロキソニンに手を伸ばしたところで、「祈り」のワークが閃きました。
何となく仏壇の前に立つと、四人の男たちが車座になっているのが見え、傍らに一升瓶を置いて楽しそうに飲んでおり、頭痛の原因が彼らだと直感しました。
闇の仕事をしてきた人たちはエネルギーが重くなっているため、一回や二回の祈りでは光に還らない可能性があると、講座の中で聞いておりましたが、案の定、四人は二人の祖父と父と母方の叔父でした。
楽しそうに酒を酌み交わす四人に対し、わたしはとうとうと、なぜか関西弁になりながら、光に還るよう説得すると、彼らは笑いながら「仕方ないな」という感じで消えて行きました。
すると、先ほどまでズキンズキンと脈打っていた頭からも痛みが消えているではありませんか
え〜〜〜〜〜マジで〜〜〜〜〜うっそみたいに痛くないんですけど
「祈り」が届いたいや〜本当にびっくりする体験をいたしました