食べたい人が食べればよい
じゃあその美味しさを理解しないで生きることはいいのか。
否、それはよくない!
料理でも芸術でも、「本物」を感じるためには舌や目が肥えていないとなりません。でも皆が最初から肥えているわけではありません。
それでも何かのきっかけで「本物の良さ」がわかれば、その先の世界は確実に広がります。
数学についても然り。だからこそ、私は多くの子どもたちに「本物の数学」─といっても難しい問題を解くテクニックなどではなく、その神秘性や図形や数の美しい法則に対する畏怖の念─を知る機会を与えたいんです。
その機会に恵まれれば、誰しもが数学を学ぶ必要性(いや、必然性かな)をハートで理解できるはずなのです。
でも現代のように「やらなければいけないこと」すなわち義務になっていると、ハナから拒否反応を示してしまうという構造的な問題があります。
テストがあるのも数学嫌いを生んでいる一因です(だから成績のしがらみから解放された親世代が、改めて数学の魅力に気づいて学びなおしているのは本当に共感できます)。
だからこそ教える側は「知的欲求を刺激する」ことを主眼に美味しさを伝えなければならないんです。解けるようにすることを目的にするのも悪くないですが、それよりも「すごい!こんな神秘的な性質があるんだ」とか「もっと知りたい」と思えるようなアプローチがベストでしょう。だってそれがそもそも数学発展の起源なのだから。
古代人や江戸時代の町民もきっと「おっもしれ~!」と思いながら没頭していたと思います。
そこまでわかった上で数学から離れるのは大いに結構だと思います。
あとはやりたい人がやればいい──その人数を増やすのが私たちの数学教育者の使命。これが持論です。
ということで、子どもさんに対しては以上のように答えてみてはいかがでしょうか。ご面倒ならこのブログをそのまま読ませてあげて下さい(笑)。