彼は団塊の世代そのものでした。
個の充実と、背景社会の上昇が
一致し、彼のやる気をそれが支えた
わけです。
その上、その団塊の中を泳ぎ切り、
勝ち組だったので先輩としても優秀で、
受け取る側にそれなりの素養があれば、
手本としては、”標準形”を示しきった
といえるでしょう。
日本で第二の建築系大学を出、
就職した大手 O組では社内履歴が
特Aだったし、一般教養でも
体積や面積の公式になぜ1/3や
1/2の係数がつくかを
微積分でさらっと説明したし、
文学にこそあまり興味を示さなかった
けれど、散文は上手だった。
はったりやごまかしをしない人で
その性格のまま建築にうちこんだ、
というべきである。
その点が、こだわりのある施工屋
という評価をもらう所以となって
いる。
ところが