まことに小さな施工屋が開花のときを
迎えようとしていた。22年前の4月のことである。
四国は徳島に、1人の中堅が独立し建築施工を
やっていこうとしていた。
12年のちに、彼はたちあげたH.P.にこう書いた。
天気晴朗なれど波高し。
日露戦・日本海開戦時の秋山真之中佐筆文。
視界の良さは敵を露わに、高い波は訓練の
いき届いた我が陣に有利、くらいの
含みをもたせた修辞(NHKによる)である。
12年前当時、視界はよかったのか、訓練は
いき届いていたのか。
彼は同時にこうも書いている。
住宅産業は地場産業。
施主、設計士、施工屋 3者一体の家造りの
和が広がっていったら、、、。
この彼の文章を書き写しながら、彼の思考、
はにかみ、潔さ、これらがいくらか伝わって
くる。
本当に彼は建築が好きだったのか、
後進県徳島にそれなりのインテリ性を
着床できたのか、
わが社のブログに書き込みを始める前に
今回と次回の2回だけ、彼について
ふれようと思う。