
今年2月に枚岡から四條畷まで歩いた生駒山系縦走コースの続きを歩いてきました。
今回は戦国時代の山城跡である飯盛山城跡に寄ってみたかったので、JR野崎駅から歩きます。
まずは野崎観音(慈眼寺)へ。
まだ紅葉が残っています。

本堂にお参り。

軒下にたくさん吊るされているのは安産祈願・お礼参りの御守りのようです。

本堂脇から飯盛山城へのハイキングコースに入ります。
ちょっと登ればもう眺めがいい生駒山系。

野崎観音から10分ほど登ると野崎城址があります。
築城時期、築城者は不明のようですが、飯盛山城が築かれてからはその支城として機能したのではないかと考えられているそうです。
案内板に赤色立体地図がありますが、これ、山城の縄張りが本当によくわかるんですよね。

野崎城址から黙々と七曲りコースというハイキングコースを登って行くと、飯盛山城跡の虎口が現れます。
道の両側に石垣が少し残っています。

飯盛山城跡はいくつもの郭で構成されており、Ⅷ郭(千畳敷郭)にはFM802の送信所が建っています。
(そのうしろにはNHKとFM大阪の送信所もありました。)

各郭の間には堀切があります。
紅葉がきれい。
この堀切を越えると主郭ですが、一旦右の方に下ります。

飯盛山城は信長の前の天下人と言われる三好長慶の居城ですが、当時はまだ珍しかった石垣が多く築かれています。
ほとんどが急斜面に築かれており、登山道からは見るのは難しいようですが、見ることのできる石垣が散策マップにいくつか記されていたので、1箇所だけ見に行ってみました。
この石垣は石垣1とナンバリングされた石垣ですが、崩落防止のための工事をされているようです。
この道の下に石垣69というかなり大きな石垣があるようなのですが、下りる道がなく見れませんでした。

先ほどの堀切に戻り主郭へ。
写真ではわかりにくいですが、堀切に土橋というヤセ尾根のような細い通路が設けられています。

飯森山城跡の主郭、飯盛山山頂(314m)。
左手の建物は戦前に建てられた国旗掲揚台兼防空監視哨だそうです。

そして、楠正行の銅像。
飯盛山城とは関係ありませんが、麓で繰り広げられた四條畷の戦いで討死したとのことで、戦場を見下ろすこの場所に建てられているようです。

展望台からの眺め。
古代、大阪平野はほとんどが河内湾という海で、その後、河内潟、河内湖と陸化が進んだものの、飯盛山城があった戦国時代には、その名残である深野池や新開池という大きな池があったそうです。
ここからも深野池や新開池が見えたと思うのですが、当時の眺めがどんなふうだったのだろうかと想いを馳せてしまいます。

飯盛山山頂からは四條畷の方に下山します。
V郭(御体塚郭)。
三好長慶が仮埋葬されたという言い伝えがあるそうです。

V郭とⅥ郭の間にある堀切。
切れ込みが深くてわかりやすい堀切です。

Ⅵ郭にある飯盛山史蹟碑。

Ⅵ郭からは遮るものがほとんどなく、主郭よりも展望が開けていました。

京都方面も見えます。

御机神社に下山。
ここから蟹ヶ坂ハイキングコースに入りむろいけ園地へ。
むろいけ園地って飯盛山とほぼ同じ標高なんですね。
200m以上下って登り返すのが結構きつかったです。

むろいけ園地は特に見るところなく、生駒山系縦走コースに入ってそのまま先へ。

途中のふれあいの森が名残の紅葉に包まれて素敵な道でした。

一旦市街地に出て、飯盛霊園という巨大な霊園の中を通ってほしだ園地へ。

ほしだ園地に入ると、せせらぎの道という道が通行止めのため、大きく迂回して、星のブランコと京都方面の眺めがいい展望台へ。
この時期紅葉がきれいということで人気の星のブランコ。
ここまでそれほど多くの人には出会わなかったのに、ここまで来るとすごい人出でそのギャップに驚きました。

赤や黄色ではなく、茶色の紅葉ではありますが、構図がいいですよね。

星のブランコを渡って、管理道をぐるっと回ってちょっと下からの眺めもなかなか。

星のブランコを見た後は、JR星田駅方面へ下山。
途中にある星田妙見宮。
七曜星降臨の伝説が伝わる妙見信仰のなかなか立派なお宮でした。

きれいに掃き清められた参道に散る紅葉。
