奈良県生駒郡用明2年(587)天皇は病気平癒を祈って造寺造仏を発願したものの果たせずに崩じてしまいました
その願いを奉じて推古天皇と聖徳太子が造立を進め、その本尊薬師如来は推古15年(607)に完成したと伝えられています
しかしこの法隆寺は天智9年(670)大火にかかってしまいました。これをめぐって明治時代から法隆寺は再建なのかそうでないのか
論争が始まります

最終的に法隆寺は再建されたという意見に落ち着いているようです☆
その理由として塔頭普門院の裏庭に、四天王寺式配置をもつ若草伽藍が発見され、それが罷災した創建法隆寺と見られること、
また金堂の壁画の様式・昭和の解体修理の際に発見された金堂天井板の落書きなどから、現存の金堂や五重塔の建立年代が天智9年のもの
とは考えられないという事だそうです
でも、まだ問題点は残っていて、再建された法隆寺の着工や竣工の時期、寺地の変更理由などまだ不明なものが多いです
【法隆寺の建築様式】
法隆寺の建築様式は飛鳥様式といわれていて、奈良様式とは異なります

その違いとは・・・
1.柱に著しい膨らみがあること(エンタシスと呼ばれるものです)
2.組物に雲斗や雲肘木を使うこと
3.大斗の下に皿斗があって、肘木には水繰という一種の模様が施されています。また、肘木の曲線が鋭いのも特徴です。法隆寺の伽藍は中門から回廊がめぐらされ、その中に金堂・五重塔が配置されます
講堂やそのほか建物は回廊の外に配置されています

その願いを奉じて推古天皇と聖徳太子が造立を進め、その本尊薬師如来は推古15年(607)に完成したと伝えられています

しかしこの法隆寺は天智9年(670)大火にかかってしまいました。これをめぐって明治時代から法隆寺は再建なのかそうでないのか
論争が始まります


最終的に法隆寺は再建されたという意見に落ち着いているようです☆
その理由として塔頭普門院の裏庭に、四天王寺式配置をもつ若草伽藍が発見され、それが罷災した創建法隆寺と見られること、
また金堂の壁画の様式・昭和の解体修理の際に発見された金堂天井板の落書きなどから、現存の金堂や五重塔の建立年代が天智9年のもの
とは考えられないという事だそうです

でも、まだ問題点は残っていて、再建された法隆寺の着工や竣工の時期、寺地の変更理由などまだ不明なものが多いです

【法隆寺の建築様式】
法隆寺の建築様式は飛鳥様式といわれていて、奈良様式とは異なります


その違いとは・・・
1.柱に著しい膨らみがあること(エンタシスと呼ばれるものです)
2.組物に雲斗や雲肘木を使うこと
3.大斗の下に皿斗があって、肘木には水繰という一種の模様が施されています。また、肘木の曲線が鋭いのも特徴です。法隆寺の伽藍は中門から回廊がめぐらされ、その中に金堂・五重塔が配置されます

講堂やそのほか建物は回廊の外に配置されています
