張り切って仕事始めして仕事の初詣は姫嶋神社さんへ。

お花を浮かべた手水舎がすてきでした😊





で、2日めの今日は
先月から引っ張ってるのど風邪でダウンした情けないワタシ…(←張り切り過ぎ)

レントゲンを撮って頂き、問題なかったので安心して休養してます。

ダランとしてるとまこがすかさず寄ってくるので

動物って分かってるよなあ…
緩んでて暖かくしてる生き物の側に来るよなあ!と感心しつつ…




前置き長くなりましたが


本題、というか、


個人的に


『調子がよくない時しか書けないテーマ』というものがありまして


FacebookでもInstagramでもそこまで書く気にならないことを、ブログでは書きたくなる不思議と共にいます。


🍀


かつてわたしが『居た』世界というのは言語のない世界で


正確に表現するならば

【言語が機能していない世界】

でした。


子どもが大人の話を(感情を消化するためだけのゴミ箱みたいな役割としての聴き役として)


延々と聴き続けるということは


日本語のようなハイ・コンテキスト・メッセージを含む構造の言語体系を母語とする子どもにとって、


高度に暗号化された"何か"、を掴む訓練以上にはなり得ない状況です。


そして


ことばとコミュニケーションが結びつかないままに日常を司るための必要なことばを獲得したという、その状況特有の歪さが残ります。


その歪さこそが、根深い『恥の意識』の元になり


わざわざ困難な現実を作り出す、という仕組みになっていて


その自然現象というか法則というか、決して抗えない流れみたいなものにいつもハッとします。



ニコ

いろんなことが、うまくいかないと感じていたり

逆に自分らしくなく好調つづきだったりするときに

今の自分と深いところでつながってる場所を思い返してみると

けっこうな確率で【問題】って消えます。

一番困難な状況をくぐり抜けてきたあなたにとって、

本質的な問題などもう起こりようがなく、

ただ、許すための課題が
課題として姿を現してくれてるだけなんだ、と。

そこにつながれると

一生無敵の自分

でいられるんだということを

できるだけ沢山のひとと
できるだけ早く
できるだけの喜びをもって

共有できたら

どんな面白いことになるんやろう、とワクワクします。

感謝を込めて🍀