前田紀貞建築塾 第5期 4回目!!
12月4日、第5期 4回目の授業です
初日から塾生の皆はすぐに打ち解け合い、授業後の宴がない時は何度か皆で飲みに行っているようです
そうやって、授業以外の場所でも縁を大切にしていこうとしているのを見ると、とても嬉しいです
さて、「設計演習コース」の第一課題は「住宅」ですが、これは自分で設定した「ルール」に基づいて空間とデザインを決定させてゆくことが求められています。
例えば、平野恵人 案は、“あやとり”のルールに着目しています。“あやとり”では、「前の構成」が「後の構成」へ引き継がれてゆきます。恵人は、この「時間的な変位」を空間にしようと試みています。
まだ初期段階ですが、これからが楽しみです
前田塾長は、自分が建築を創る時のコンセプトには「論理性」に貫かれていなければならない、と言います。
ただ、学生によくあるのは「論理性」ではなくて「連想ゲーム」なんです。
写真は、この違いについて説明しています
僕も、なかなか自分のコンセプトが「論理性」なのか「連想ゲーム」なのかを迷います。「論理性」と自分では思っていても、「それは、連想ゲームだ」と言われることがよくあります・・・・
おや
黒板には「抽象と具象」なんて文字も見えますね。これも、よく塾長が説明に用いる言葉です。
建築を敷地に創るとき、どうしても「台座の上に彫刻を創る」という考えが抜けないのが学生たちの癖です
写真のグリッドの説明は、「そもそもは建築が敷地から都市にまで広がっている。そしてたまたま敷地でカットされる」というような概念を説明しています。
案によっては、そっちの方が建築に力がこもる場合があります。そういうことも知っているのと知らないのとでは、大きく違いますね
これは、インクを水に垂らした状態でのフォルムを建築化しようと試みた、吉江優 案です。
ここで、気を付けなければならないのが、形を真似るだけではダメ
だと言うことです
これは、ガラスが割れた時に入るヒビをもとにして空間を創ろうとする戸村陽 案です。
割れたガラス、というところからマルセル=デュシャンの「大ガラス」についての話です。また、デュシャンが偶然性について考えていた「三つの停止原器」になどについての説明がありました
「三つの停止原器」とは、長さ1mのヒモを1mの高さから落としてできたヒモのよれよれ形状を、デュシャンの創造世界を決定する「ものさし(原器)」として用いる、という考えです
同様なものとして、磯崎新の「モンローチェア」にも言及されました
いずれも、偶然性や必然性とどう建築の創造の中で付き合ってゆくのか、というお話です
さて、建築論の講義について。
今回は、「自然とはなにか
」について、です。
一般に僕たちが知っている自然とは「光
」とか「緑
」とか「風
」です。
でも、それではあまりに幼稚な理解だといいます。そういうアマチュアな考えでは、質実剛健な建築を創ることは難しいのです
それについて、説明がありました。
つまり、「自然とは第二の自然でしかない」ということを本当に理解できるか、ということでした。この詳細は前田のブログなどを読んでみてください
http://norisada.at.webry.info/200602/article_2.html
これが理解できれば、その次に
http://norisada.at.webry.info/200603/article_1.html
も是非参考にしてみてください
こんな一見難しいお話ですが、実はそれをとてもわかりやすい言葉で塾長は話をしてくれます。また、その雰囲気も上の写真のように「講義をする」というものではなく、もっとリラックスしています
なにより塾長自身、そういうことを楽しそうに説明しながらお酒

を飲んでいたりするのですから
前田紀貞アトリエ 尾茂田太

初日から塾生の皆はすぐに打ち解け合い、授業後の宴がない時は何度か皆で飲みに行っているようです

そうやって、授業以外の場所でも縁を大切にしていこうとしているのを見ると、とても嬉しいです

さて、「設計演習コース」の第一課題は「住宅」ですが、これは自分で設定した「ルール」に基づいて空間とデザインを決定させてゆくことが求められています。
例えば、平野恵人 案は、“あやとり”のルールに着目しています。“あやとり”では、「前の構成」が「後の構成」へ引き継がれてゆきます。恵人は、この「時間的な変位」を空間にしようと試みています。
まだ初期段階ですが、これからが楽しみです

前田塾長は、自分が建築を創る時のコンセプトには「論理性」に貫かれていなければならない、と言います。
ただ、学生によくあるのは「論理性」ではなくて「連想ゲーム」なんです。
写真は、この違いについて説明しています

僕も、なかなか自分のコンセプトが「論理性」なのか「連想ゲーム」なのかを迷います。「論理性」と自分では思っていても、「それは、連想ゲームだ」と言われることがよくあります・・・・

おや

建築を敷地に創るとき、どうしても「台座の上に彫刻を創る」という考えが抜けないのが学生たちの癖です

写真のグリッドの説明は、「そもそもは建築が敷地から都市にまで広がっている。そしてたまたま敷地でカットされる」というような概念を説明しています。
案によっては、そっちの方が建築に力がこもる場合があります。そういうことも知っているのと知らないのとでは、大きく違いますね

これは、インクを水に垂らした状態でのフォルムを建築化しようと試みた、吉江優 案です。
ここで、気を付けなければならないのが、形を真似るだけではダメ


これは、ガラスが割れた時に入るヒビをもとにして空間を創ろうとする戸村陽 案です。
割れたガラス、というところからマルセル=デュシャンの「大ガラス」についての話です。また、デュシャンが偶然性について考えていた「三つの停止原器」になどについての説明がありました

「三つの停止原器」とは、長さ1mのヒモを1mの高さから落としてできたヒモのよれよれ形状を、デュシャンの創造世界を決定する「ものさし(原器)」として用いる、という考えです

同様なものとして、磯崎新の「モンローチェア」にも言及されました

いずれも、偶然性や必然性とどう建築の創造の中で付き合ってゆくのか、というお話です

さて、建築論の講義について。
今回は、「自然とはなにか

一般に僕たちが知っている自然とは「光



でも、それではあまりに幼稚な理解だといいます。そういうアマチュアな考えでは、質実剛健な建築を創ることは難しいのです

それについて、説明がありました。
つまり、「自然とは第二の自然でしかない」ということを本当に理解できるか、ということでした。この詳細は前田のブログなどを読んでみてください

http://norisada.at.webry.info/200602/article_2.html
これが理解できれば、その次に
http://norisada.at.webry.info/200603/article_1.html
も是非参考にしてみてください

こんな一見難しいお話ですが、実はそれをとてもわかりやすい言葉で塾長は話をしてくれます。また、その雰囲気も上の写真のように「講義をする」というものではなく、もっとリラックスしています

なにより塾長自身、そういうことを楽しそうに説明しながらお酒




前田紀貞アトリエ 尾茂田太