終身刑反対!武士道復活!!・・・・を強く望むのです。


 教える者が、知性ではなく品格を、頭脳ではなく魂を、ともに磨き発達させる素材として選んだとき、教師の仕事は神聖なる性質をおびる。「私を生んだのは親である。私を人たらしめるのは教師である」との思いで、教育が行われていたとき、教師の受けた尊敬はきわめて高かった。このような信頼と尊敬を若者から寄せられる教師は、当然のことだが人より優れた人格を持ち、学識にも恵まれていなければならなかった。師は父なき者には父であり、迷える者には助言者であった。「父母は天地のごとく、師君は日月のごとし」と格言でも言うではないか。
 どんな仕事に対しても報酬を払う今日のやり方は、武士道の信奉者の間では広まらなかった。なぜなら、武士道は無報酬、無償であるところに仕事の価値があると信じていたからだ。精神的な価値にかかわる仕事は、僧侶にしろ、教師にしろ、その報酬は金銀で支払われるべきものではなかった。それは価値がないからではなく、金銭では計れない価値があったからである。この点においては、武士道の数学では計算できない名誉を重んじる精神は、近代経済学以上に真実の教訓を人々に教えていたのである。すなわち、賃金や俸給というのは、その仕事の結果が明確で、具体的に計測可能な場合にしか支払うことはできない。これに対して、教育における最良の仕事、あえていえば魂の育成(この場合は僧侶の働きも含まれる)などは、明確でも具体的でも計量可能でもない。計測できないものに対して、外面的な価値で計る金銭を用いることは不適当である、としたのである。

と、新渡戸稲造はゆうておるではないか!!!



太田農水相・・・太田 脳薄いぞぅ!

・・・・みんなで武士になろうではないか!!・・・・