なぁ~るほど


女は見られる自分を通り越し、見せる自分を意識して、化粧と云う名の仮面を被ろうとします。そこに、何事も体裁よくやりたい女の厚顔無恥があり、悲劇と喜劇があるのです。どれもこれも、外面だけを気にした、体裁よくやりたい、自己を他人に認めさせ、認めてもらおうと企んだ自己主張にほかならないのです。

自分で自分を認める前に、まず、他人に自分を認めてもらうことによって自立を図り、そのあとで、その他人に認めてもらった自分を無条件に受け入れてしまおうとする空しい自己主張にほかならないのです。人間にとって真実とは、つねに、自分が他人の目に晒されてていると云うことです。つまり、衆目のさらし首の刑に処せられていると云うことです。そして「鬼瓦にも化粧」という言葉が陰で囁かれるほど、その他人の目は残酷であると云うことです。自分が鬼瓦のように醜い顔の女であって、そう囁かれることの惨めさは省みず、そう囁いてみることの残酷な楽しみに酔っているのです。


今夜は、若き日の長吉作品

・・・・そろそろ読書の秋じゃ・・・・