追跡! 39年前の「酒鬼薔薇」事件

昭和44年4/23午後4時20分、川崎市向ヶ丘1765の私立サレジオ高1年の加賀美洋(15)が学校の校庭の裏にある、250メートル離れて東名高速をくぐった向かって左脇にあたるつつじ畑で首を切られたと、加賀美と一緒にいたという同じく1年のM少年(15)が学校に訴え出た。
 Mも2ヶ所を怪我しており、3、4人の男に襲われたと証言した。被害者は47ヶ所を滅多刺しにされて発見され、首は死後に切断された様子で、凶器のジャックナイフが見つかった。当初から15歳少年が疑わしいという声があったものの、学校側では捜査員が校内に立ち入る際にもヨハネ・ペトゥ校長自ら1人1人首実検してから通すという対応で、少年の取り調べにも校長や父親などを立ち会いの下で行うように警察に要求、受け入れないと取り調べはさせられないとするなどの状況もあり、遅々として捜査が進まないでいたが、4/25午後6時15分、警察署内での取り調べと切り替えたところ、少年は犯行を自供した。

被害者におわびの言葉を述べたが、午後8時30分には出されたカツ丼を残さず食べるなど余裕も見せていた。少年の父はセミナー会社社長で、母は病弱だったという。祖父は樺太帰りで銀座でかつて貸金業をしていたが、少年の父は祖父の仕事を嫌い、事業は受け継いでいなかった。
 少年は小学校から高校までミッションスクール、目黒の私立星美学園小からサレジオ中、高と進んでいた。テニスが得意で図書委員も務め、妹より背丈が低い150センチと小柄で太っていたという。性格は陽気で、弁護士になるのを夢としていて、中学時代から六法全書を愛読書としていた。しかし中学時代には些細な喧嘩から、同級生を突き飛ばして腕の骨を折るといった事件も起こしていたが、表沙汰にならないように処理されていた。少年は被害者とは中高とずっと同じクラスで、傍目にはむしろ親しく見えたという。

 被害者は少年より無口だったが、170センチとやや大柄で、他人の欠点を付く毒舌で笑いをとるのを得意にしていて、少年をよくからかいの対象として同級生の笑いをとっていたが、それは殺人に至るまでのいじめと呼べるようなものではないとの周囲は見解だ。
 事件後、少年は少年院に送られたが、名前を変えて社会復帰して中学時代の夢を実現した、と平成9年の「文藝春秋」誌上に掲載された。被害者の家族には少年の父から2年間、月2万円ずつ送金され、それが受けた補償のすべてであった。


顔を含め全身47箇所メッタ刺し 、首を切り落とす。 切った首を蹴っ飛ばす。



「未成年でしたから、前科なんて付きませんよ。
私が弁護士をしてるのは私の能力だし、その収入は私と家族のために使います。
法的にみて、全く何の問題もありません。 幸せに暮らしてます。 少年事件は匿名性が極めて高いので、誰もこのことは知りませんしね。」