裁判員制度になったらこんな判決は許さない!



田中重穂   犯行時年齢51歳 死刑執行1995年5月26日 69歳没

 被告人は、失業中に家族から浴室付きの住宅購入をせがまれたこと等から、その購入資金を捻出するには、大物政治家の家族を誘拐して身代金を奪うほかはないと考え、その誘拐の相手を信用させるための警察手帳と反抗を抑圧するための拳銃を手に入れるために、一人で
交番に勤務する警察官を殺害して強収しようと決意し、昭和51年10月18日午前2時20分ころ、東京都内にある交番の警察官(55歳)を虚言を弄して近くの雑木林に誘い出し、隙を見て頭部等を鉄角棒で30数回強打し、ナイフで胸部を刺して失血及び脳挫傷により死亡させて殺害した〔死刑選択〕が、強取は未遂に終った。
 次に裁判所は、なぜ彼に死刑という極刑を選択したのかという点を、控訴審判決における「量刑の理由」から、その要点を記しておきます。というのは、強盗殺人で被害者が一名の場合の判決相場は、過去の例で見るならだいたい無期懲役であるのがほとんどだからです。しかも、この事件では、拳銃等の強取は未遂なのだが、
田中被告には強盗傷人等の前科がある。本事件時は、窃盗の執行猶予中であった。


松山純弘巡査 犯行時年齢20歳 現在社会復帰か?50歳

78年 (昭和53年)1月10日、警視庁北沢署の松山純弘巡査(20)は巡回連絡を利用して、かねて好意を寄せていた、東京世田谷区在住の清泉女子人文学部4年の長谷川優子さん(20)のアパートに入り込み乱暴しようとしたが騒がれたため首を締めて殺害。第一発見者を装って犯行をまぎらわそうとしたが、結局、逮捕されて自分の犯行であることを自供した。そして起訴され、東京地裁で無期懲役の判決。その後上訴するも、82年(昭和57)に無期の有罪が確定した。


この事件では、北沢署長が引責辞職し、後に土田警視総監も辞任するなど、政治的な問題にまで発展したものでした。したがって、社会的な影響としては、前記の「警察官殺害事件」よりも、かなり大きかったことは明らかです。そこで、その「社会的影響」などを踏まえて検討するなら、警官殺しの田中重穂に対する判決にみる「量刑の理由」がそのまま、この「女子大生事件」に適用されても不思議でありません。
 しかし、裁判結果は死刑と無期に分かれ、巡査殺しのほうはすでに処刑されてあの世の人であるのに対し、女子大生殺しの現職巡査は、もうそろそろ仮釈放になるであろうし、あるいはすでに30年以上経過しているので、密かに仮釈放になっているかも知れません。


警察官は、国民の生命、財産、身休を守るという重要な社会的任務を負っているのだから、そういう立場の人間の命を奪うとは何事だ、許されない。だから死刑だ!というわけでしょう。ところが、あの若い巡査は、社会のそうした期待を裏切って、己れの欲望を満たすために若い女性の命を奪った。巡査殺しの判決の趣旨からいうなら、その逆の女子大生殺しの巡査も死刑であってこそ、公平な裁判、公正な判決と私は考えます。私は、巡査殺しの被告人の妻子らの気持を代弁して、そのことを強調するのです。
 もちろん私は、田中重穂の犯行を庇うつもりはありません。厳しい判決は当然であると思います。しかし、彼と同じ死刑囚という立場から物申すなら、結局、そういうことになるのです。
そのことはともかくとして、とても可愛がっていた幼いわが子のことを、彼はどう思いながら処刑されたのでしょうか。


上記は、死刑確定囚の澤地和夫の「東京拘置所 死刑囚物語」より抜粋しました。


澤地和夫被告は警視庁を退職後に開店した大衆割ぽう店の経営が悪化、1億5000万円の負債を抱えて閉店に追い込まれたため、一獲千金を狙って強盗殺人を計画。やはり1億6000万円の負債を抱えていた知り合いの元金融業者がこれに応じ、約7億円の負債のあった不動産業者猪熊武夫被告が加わって共謀。1984年10月11日、宝石取引を装って東京の宝石商(当時36)を山中湖畔の別荘に誘い出して絞殺。現金約720万円と株券など計約5400万円相当を奪った上、死体を別荘の床下に埋めた。
 さらに澤地被告猪熊被告は共謀して10月25日、埼玉県上尾市の金融業者(当時61)を融資話を装って呼び出し、同別荘前路上の乗用車内で絞殺。現金2000万円と貴金属計約2800万円相当を奪い、死体を同じ場所に埋めた。

澤地和夫は生きております。


この一週間、死刑関係を重点的に研究中であります。

 ・・・・しょうがない!しょうがない!! のです。・・・・