朝散はラジオを聴きながら
本日の朝散は7:00~9:00迄12,000ポ程歩いた。土曜日8:30からはTBSラジオ「土曜ワイド 永六輔その新世界」である。六輔氏が先だって大分県中津市に行く途中、新幹線から日豊線乗り換えの為下車した小倉駅で30分の待ち時間があったそうな、で、小倉駅前の魚町に淺草ラーメンを食わせる「こうじ」というラーメン屋があると言う事を以前に小沢昭一氏ら友人数人より聞き及んでいたので大急ぎで行きましたとさ。「こうじ」なるラーメン屋はかなり有名らしいが、ワタクシのふるさとながら知らんかった、で、早速調べましたわい。
中華料理「耕治 魚町店」
と判明、戦争中に戦火を逃れ淺草から小倉へ疎開してきたらしい。魚町店とあるので他の町にもあるのかしらん?
ラーメンの味がどうのこうのより肝心な話は、この店の看板のことであった。その看板は北大路魯山人が描いたものだという。
北大路魯山人のunnnunnkannnunnは
陶芸家、書家。本名房次郎。明治16年3月23日、京都に生まれる。初め西洋看板のペンキ屋を開く。明治37(1904) 東京に移り、同年11月、日本美術展覧会に書を出品して一等賞を受け、以後書に打ち込み、29歳からは篆刻も習い 始めた。その後、陶芸に手を染め、19年には古美術商を営み、翌年春にはそのかたわら会員制の「美食倶楽部」を発 足させた。さらに25年には東京麹町の星岡茶寮の顧問兼料理長として料理・食器の演出に携わる。生涯のなかで書と 陶磁器にとりわけ鬼才を発揮した彼は、専門陶工ではない趣味人ならではの当意即妙な意匠の世界に新境地を開いた。 窯は北鎌倉の山崎に築き(1926)、星岡窯と称した。昭和34年12月21日死去。
です。
次回帰郷のさいには調査研究せねばならぬなぁ~。