丑松は人間を捨てたいと思った。


「穢多には一種特別な臭気が有ると言うじゃないかー嗅いで見たら解るだろう」と尋常一年の教師は混返すようにして笑った。「馬鹿なことを言給え」と銀之助も笑って、「僕だっていくらも新平民を見た。あの皮膚の色からして、普通の人間とは違っていらあね。そりゃあ、もう、新平民か新平民で無いかは容貌で解る。それに君、社会から度外にされているもんだから、性質が非常に僻んでいるサ。まあ、新平民の中から男らしい毅然した青年なぞの産れようが無い。どうしてあんな手合いが学問という方面に頭をもちあげられるものか。それから推したって、瀬川君のことは解りそうなものじゃないか」


 深く考えれば考えるほど、丑松の心は暗くなるばかりで有った。この社会から捨てられるということは、いかに言っても情ない。ああ放逐ノ何という一生の恥辱であろう。もしもそうなったら、どうしてこれから将来生計(さきのくらし)が立つ。何を食って、何を飲もう。自分はまだ青年だ。望もある、願いもある、野心もある。ああ、ああ、捨てられたくない、非人あっかいにはされたくない、何時までも世間の人と同じようにして生きたいーこう考えて、同族の受けた種々の悲しい恥、世にある不道理な習慣、「番太」という乞食の階級よりも一層劣等な人種のように卑められた今日までの穢多の歴史を繰返した。丑松はまた見たり闘いたりした事実を数えて、あるいは追われたりあるいは自分で隠れたりした人々、父や、叔父や、先輩や、それからあの下高井の大尽の心地を身に引比べ、終には娼婦(あそびめ)として秘密に売買されるという多くの美しい穢多の娘の運命なぞを思いやった。

 その時に成って、丑松は後悔した。何故、自分は学問して、正しいこと自由なことを慕うような、そんな思想(かんがえ)を持ったのだろう。同じ人間だということを知らなかったなら、甘んじて世の軽蔑を受けてもいられたろうものを。何故、自分は人らしいものにこの世の中へ生れて来たのだろう。野山を駆け歩く獣の仲間ででもあったなら、一生何の苦痛も知らずに過ごされていたろうものを。


・・・・今宵は沈思黙考