二〇十六五月十七日

ヲヤヂ:ちょっと凹んでるんだよ。
文学青少年:ノーテンキなヲヤヂさんにしては珍しいね。どうしたの?
ヲヤヂ:ノーテンキは余計だよ。お前、文学・思想の見識に関してはワシに一目置くと言っておきながら貶すのは、相手を一旦上げておいて下げる笑いネタじゃないか。どうせなら、三目くらい置いて欲しいもんだぜ。
 ワシはある投稿文にこうコメントしたんだよ。
 「若い頃呑み屋で文学は何の役にたつのか?と尋ねられ何の役にも立たないと即座に返答すると役に立たないものをなぜ学ぶのかと言われたけど、文化とか芸術はクソの役にも立たないその非生産性こそが価値なんですよね。」
 すると、こんな返信が返ってきたのさ。
 「どうですかね価値がないようでその価値はその人その人により違ってくるのかも?」
文学青少年:ヲヤヂさんのコメントが全く理解されてないことは「価値はその人その人で違ってくる」という見当違いの返信でわかるね。
 この人はこの返信で何か言った気になってるのかな?こんな誰もが思う当たり前のことを返信して、何か言った気になってるのが不思議だよ。
ヲヤヂ:投稿主は、自己啓発書の類を引用してるんだが、コンビニにおいてあるような本で、立ち読みで難なく理解できる内容だったな。ワシならタダでも要らないよ。読んで得るところはないと思ったが、投稿したご本人は、なるほどと思ったようなんだ。
 一見無駄なような些細な物事にも価値を見出し、何にでも関心を持つ者は若々しい。そんな内容で、それがどうした?と思ったよ。
文学青少年:それがどうした?って身も蓋もないとはこのことだよ。ヲヤヂさん、投稿主をを過大評価してないかい?
 俺達は、文学や思想に深入りしすぎてそれが自然になってるけど、ごく普通の人は俺達にとっての常識が非常識なんだよ。相手の理解力を過大評価し、この程度はわかるだろうという予想が裏切られた経験が少なからずあるよね。
ヲヤヂ:ワシらはズレてるってことか?
文学青少年:そうだよ。それも半端なズレ方じゃないよ。
 作者には別居してる息子がいて、そいつが、ボードリヤールの「シュミラークルとシュミレーション」、バタイユの「エロティシズム」、吉本隆明の「共同幻想論」を持ってるのを知って、血は争えないと思ったそうだよ。特に驚いたのは、そいつがシモーヌ・ヴェイユの著作をもってたことだそうだよ。
ヲヤヂ:持ってるのと読んでるのは違うことだし、読んだことと読み込んだことはさらに違うけど、文系の大学生のほとんどが今挙げた思想家の名前すら知らないだろうな。
 今も昔も大学生は遊び呆けることができる特権を持ち、その特権を実際に行使しているし、行使してきたさ。それが悪いかと言うと、そうは思わないがな。