二〇十四年 三月八日 

 

 タイトルの解散戦争とは、革命的共産主義同盟全国委員会(長たらしいので以下中核派とする)が、集会後の警察、そして、血で血を洗うテロ戦(中核派は、テロった革マル派の相手が重症の場合は、重殲滅、死んだ場合は完全殲滅と呼んでいた)をやりあっていた、革マル派レポ(見張り)の尾行を振り切る事を目的する軍事行動だ。
 この解散戦争は、都市ゲリラ戦を想定した軍事訓練も兼ねていた。どこからともなく集まった人々が突然、戦士となってゲリラ戦を展開し、どこかへ去っていく。革マル派とのテロ戦で得たノウハウを都市ゲリラ戦に応用、展開する。それが、党中央=政治局の思惑だったと思う。合法な政治局とは別に、非合法の指導部があったのかもしれないが。
 ただの解散ではなく、警察の尾行と革マル派の組織的テロからの自己防御だから、解散戦争なのだった。通常、デモが終われば、解散地点で各自がそれぞればらばらに流れていく。これを流れ解散というのだが、解散戦争はそうではなかった。
 首都圏から遠方で集会やデモが行われる場合、貸切バスをチャーターする。もちろん、農業研究会とかの偽名だ。各地区の小グループごとにバスに乗り込む。バスガイドは、普通の客だと思っているから、マイクで「本日は◎△バスをご利用いただきまして・・・・・」と挨拶しようとする。すると、リーダーがそれを制止し、マイクをガイドから奪うようにして渡してもらう。そこから文語調の激しいアジテーションが始まるのだ。それが終わると、乗車したメンバーそれぞれに、マイクが渡され決意表明を行わされる。
 往路は行き先がわかっている。だが、帰路の行き先はわからない。どこを走っているかわからないバスから二、三人ごとに、どこかに降ろされる。そこからそれぞれ違う方向に数分間全力疾走し、一人きりになる。そこからは、最寄りの駅を探してやっと帰宅の路につけるのだった。
 集会やデモが首都圏の場合は、参加者全員が四列縦隊をつくり、その前後に旗を巻いた竹竿を持ったグループが警護にあたる。竹竿だけだと凶器準備集合罪でパクられるから、旗を括りつけているのだ。この総勢数百名の集団が、隊列を組んで駅の改札を無理やり通過し、電車に乗る。車中で運賃が徴収される。どこで下車するか誰も知らない。知っているのは、全部隊のリーダーだけだ。どこか知らない駅で下車すると、リーダーが集めた札束を駅員に渡して改札を通過する。
 駅を出ると、やはり全員が数分間全力疾走して一人きりになれば、そこからは仲間と出会ったとしても知らぬ顔をして、ただの市民として帰路につく。
 人に話すほどではないが、墓場まで持っていくほどの大それた経験でもない。ただ、記録として残しておきたかった。

註:写真は戦旗派のサイトから落としてきた。かつて、成田空港滑走路先に造られた鉄塔があった。当番で行ったことがある。鉄塔下の小屋から上に登ると、丘の上から機動隊のサーチライトで照らされ行動を監視された。
 党派性丸出しで偉ぶっている社青同解放派のねぇちゃんが、常駐していた。数年後、機動隊によって鉄塔が倒された。その前に、ガサ入れをやられ、パクられて連れて行かれる姿をテレビ映像でみた。ざまぁみやがれ、と思った。