二〇二五年十一月二十三日
「西岡さんはよく頑張ってる」ナースステーションでも皆言ってます。と語りかけてきたのは、友廣さんだった。短いながらも彼女と業務外の言葉を交わした。一番親身になって細かく対応してくれたナースだった。備忘録のノートに名前を書き留めたはこの人だけだ。他のナースの名前は知らない。
十一月七日夕刻だった。自転車での食料品の買い出しの帰途、右折のため減速しハンドルを右にきりかけた。次の瞬間、後から追い抜きざまの自転車乗りの右肩と私の左肩が接触した。右側面に自転車もろとも急転倒した。右臀部を強打し、自分の意志で右足を動かせなくなった。
救急搬送された。その夜、大腿骨頸部骨折で直ちに入院措置。骨頭置換手術が決定し、手術の予定は十一月十日に決まった。担ぎ込まれた日に手術について二人の整形外科医からレクチャーを受けた。その二人と術後に顔を合わせることはなかった。代わりに面識のない女医が何度か顔を見にやってきた。二言三言の問答だけで診察は終わった。つまり、術後の経過は順調だったということらしい。手術翌日には自らの足で直立させられた。そして、十一月十八日には杖つきながらも単独歩行できるようになった。
搬送された日の夜、レントゲン検査をした。ナースによれば、ガッツリ折れてたという。手術しないと歩けなくなる。だから、手術しない選択肢はない。手術すればまた歩けるようになりますよ。と毎日手術しているという整形外科の主治医にあっさり告げられた。これから身におこるすべてを運命として受け入れるしかなかったが、事もなげに歩けるようになりますよと語る主治医の自信たっぷりの言葉が希望だった。手術まで右足は折れたままだったが。
翌日は救急病棟から一般病棟に移った。後にわかったが、私は最も緊急度と要観察度の高い患者として、ナースステーションに一番近い四人部屋病室のうちのナースたちから最短距離になる一隅に移されたのだった。
十日十五時頃におこなわれた手術までの三日間は身動きひとつできない寝たきりだった。動かなければ痛みはないが、オムツの脱ぎ穿き、下の始末、褥瘡防止のための身体の僅かな移動。その度にベッドの手すりをつかみ大きなうめき声を上げて痛みに耐え右足を左に動かし体を横にした。
友廣さんは手術前後の期間、病室の担当だったようだ。ぎこちない足どりにせよ、歩けるまでに回復した私は友廣さんとのやりとりが、夢の中の出来事のように感じる。今は彼女の容貌の痕跡さえ消えてしまったが。
ニ度と顔を合わす機会はないだろうが、ありがとう。と伝えたい。
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他サイトだが、ここ三年で百名ほどの二十代の女の子とメールしてきた。
自分の話題につきあってくれる相手などいないから、相手にあわせる他ないと思っている。どうせ話題を相手にあわせるなら、若い女の子とのやり取りが楽しいに決まっている。顔文字を多用したオフザケメールでも受け入れてくれるからだし、なんといっても、三十代以降の女性より気楽で疲れずにやり取りができる。
これまでも、そしてこれからも出会わないであろう、とても変わった女の子と何度かやり取りをしている。この女の子は、完全アダルトサイトで出会った、自分が場違いな存在だと自覚している三重在住の二十六歳の美人だということしかわからないが、それ以上のことを知りたいとも、知るべきだとも思わない。
最近、彼女からメールの返信が届いた。
Hi dear!
素敵なメールをありがとうございます(;_;)
自分の内面と向き合う事が無くなる境地へ今直ぐに行きたいです>_<
すごいです!
***はお金が自動的に入ってくる環境を整えてから、山奥で木の根っこを食べて暮らす予定です\(^o^)/
いつも可愛げなく申し訳ありません。。
今少し気分が沈んでいたのですが、最高に元気になってしまいました。
さすがです( ´ ` )
この女の子に特別優しくしているつもりはないが、相手は私の優しいメールだけが欲しくてサイトにログインしていると言う。そう言われれば、お座なりにも、なおざりにもできなくなる。お座なりにしたり、なおざりにするほどの度胸を私は持ちあわせていない。
「山奥で木の根っ子を食べて暮らす予定」だというのは、どうやら本気のようなのだが、どう返したらいいのかわからず返信しかねている。
ここまでは、二〇一六年六月十三日に書いたものだ。
私がこの女の子(今では三十代半ばだろう)とやりとりした理由は、彼女が自分と向き合ってつらいからだった。確かに自分もそんな頃があった。今は、とめどない内向化とは、玉ねぎの皮を剥くのと同じで剥き続けていく先は、なんにも残らない空っぽなのだとわかっている。
三十代に入ると家族ができた。自分のことは後回しにし家族を支え日々の暮らしをこなす。それが精一杯で過去をふり返る心のゆとりなどなかった。それが四十代まで続いた。
あと何年生きられるだろう?そんな年齢になった今、ようやく過去をふり返ることができるようになった。メッセージをもらった頃から十年近い時間の隔たりはあるが、***さんのメッセージを傷ましいと思う。若い頃の心の嵐を傷ましいと思う、その哀惜の想いを彼女に重ね合わせてしまうのだ。
村瀬学は「理解の遅れの本質」で、障害者にとって最大の障壁は共同幻想の世界への参入だと言っている。そして、その障壁の高さは違っても最大の障壁に違いないところは健常者も同じだと言う。村瀬はここで障害者と健常者が理解しあえる通路をつくったのだ。
彼女も私も共同幻想の世界に参入するとば口で足踏みして、スムースに参入できないもどかしさや苛立ちや鬱屈を内向させた。それは誰にとっても本当は難関だった。ということがわかる年齢に達した。歳とるのも悪くないと思う。
註:***は、ご当人のハンドルネームである。
二〇十三年六月二十五日
出会い系は昨年の十一月から、いたるところにガンガン登録している。十二月の暮れのことだが、メールアドレスを教えてくれた二十八歳のヤンキー娘がいた。このおねいちゃんは、最初に自分の写真を添付したメールを送ってきた。何通かメール交換して、一月初旬のメールを最後にそれっきりになった。
米連邦政府の要請で、アフガニスタンにナースとして派遣されている、という事だった。今思い返せば、愚かな疑問だと思うが、本国に同世代の男性もいるいだろうに、なぜ私のような外国の中年男にメールをよこしてきたのか?と尋ねた。
自分という女が気に入らないのか?恋愛に年齢差なんてない。いい相手がいれば、どこへでも行く。自分はセクシーだし、家庭的で、子供も好きだ。と返信してきた。
どこの国の女も正しいことを真正面から言うものだと、つくづく思った。「恋愛に年齢差なんてない」。確かにそうだ。そうかもしれないけれど・・・と、正しいことを言われた男は声にならない声でつぶやくか、黙るしかない。欧米の男はそうではないかもしれないが、日本の男のほとんどは黙ってしまうと思う。
新年を迎え、年賀状を添付したメールを送った。返信には、新年はキャンプで迎えたと書かれていた。
返信が途絶えてからも、米連邦政府系病院に所属するナースだと思っていたが、今は、違うと思っている。米軍部隊所属のナースのはずだ。アフガニスタンは内陸に位置しているから、海軍ではないだろう。空軍でもない。海兵隊か陸軍部隊に所属していたはずだ。メールのドメインはウクライナだったが、メール送信時刻は米国太平洋時間だったから、西海岸にサーバがあったと思う。彼女の出身はアリゾナ州だ。そこでアカウントを取得したのだろう。
私は大人だから、なぜ、アメリカがアフガニスタンくんだりまで出かけて戦争するのか?かつて支援していたタリバーンでだけなく、イランにも、イラクにも寝返られ、猫の目のようにくるくる変わる、歴代大統領による軍事外交政策をどう思うのか?とも、オバマがパキスタン政府に断りもなく、パキスタン領内に無人機を侵入させ、アルカイーダ系のゲリラ部隊の掃討戦を展開しているが、それは正当だと思うか?ともたずねなかった。
註:一文は某出会い系サイトに投稿したものの転載である。


