皆様、こんにちはおねがい

 

 

麦チョコ習慣を止めれず、

毎日、一袋は食べてしまうAkiですニヤリ

 

 

 

今日から、自分の生い立ちについて

書くことで、自分を振り返っていこうかなと

思います真顔

 

 

 

決して、面白くない内容なので、

読みたくないなと思ったら、

スルーして下さい滝汗

 

 

 

新たなステージの移行に、

自分をみつめて、振り返るのに、

欠かせないことのようですショボーン

 

 

 

 

 

私が育ったのは、自然豊かななーんにもない

片田舎の町だった。

 

日本海側にあって、夏は暑く、

冬は雪が積もり、空はほとんど

どんより曇り。

 

今でこそ、ぽつぽつ大型のスーパー店が

並ぶが、昔は、見渡す限りの田園風景だった。

 

築80年は過ぎたその一軒家は、ボロく、

隙間風で寒く、家の中は暗くジメっとしていた。

 

家の二階は、何十年も使われず、

『開かずの二階』になっており、

夏は、「ネズミの大運動会」が

開かれていた。

 

 

父と母と祖母、弟三人、

どこにでもある普通の家族

 

 

 

・・・・・を装う

 

 

 

今振り返れば、

魔の家だった。。。

 

 

 

私の父は、外では地域のためにと

いろいろと働くいい人ではあったが、

 

家の中ではその反面、全く何もしない

人であった。

 

そればかりか、家庭にはほとんどお金も

入れず、自分の好きなことばかりに使い、

家庭内で暴力をふるう悪魔みたいな存在

だった。

 

私達子供の就寝時間は、夜8時。

 

あの悪魔が帰ってくるまで

寝ていないと、どんな目に遭うか

わからないという理由と、

電気代の節約という理由もあった。

 

 

耳が良かった私は、悪魔が乗る車の

音がよく聞こえていた。

 

悪魔の車の音がすると、

電気を消して、みんなで一斉に

布団に潜り寝る。

 

あとは、電気が点いても、

寝たフリをする。

 

今日は何事もなく終わるのかと思えば、

聴こえてくる怒声。

 

布団を被り、耳を塞ぐ。

 

早く終われ、朝になれと。。。

 

その被害の多くは、母だった。

 

小さい時の私は、ただただ怖くて、

母親にかばえなくてごめん。

ごめんなさい。と、布団の中で

何度も何度も呟く。

 

古くて狭い家では、部屋がなく、

夜は六畳一間に祖母以外は、

全員一緒に寝ていた。

 

二段ベッドを二個。

その間に、両親の布団が敷かれていた。

 

 

 

いつの間にか眠ってしまって、

朝を迎える。

 

何事もなかったような朝。

 

怖くて、何も聞かない。

 

 

 

ある日、食卓にあったテレビは、

子供達がテレビに夢中になって

ご飯を食べるのが遅かったという理由で、

悪魔が目の前で、外に殴り捨てた。

 

お箸一本を落としても、

怒られた。

 

朝は、肉料理。夜は、魚料理と

決まっていて、魚が苦手な私には

食事時間は、苦痛だった。

 

朝もお肉の匂いで、気持ち悪くなり、

食べたいのに、食べれないまま登校。

 

食事は、全員揃って食べるものという

悪魔の家訓のせいで、全員で食べるが、

機嫌を損ねるようなことがあれば、

怒声が飛ぶので、

 

失敗しないように、

弟達がふざけて怒らせないように、

見張りながら食べるようになった。

 

 

ここで、目だけで合図できる技を

身につけた!!(ドラクエ風音譜

 

 

ずっとずっとお金を家に入れない

悪魔。母のお金でさえ、奪い、

借金の返済に充てていた。

 

残された僅かなお金で、何とか

食べていた。

 

電気は月末になると、止められたり、

電話はほとんど、不通。。。

 

洋服は、母のお古か、祖母が縫ってくれた。

年に何回か買ってもらえる服が嬉しくて、

でもそれさえ、値札を見て、いいの?

高くない?って遠慮して買わなかった。

 

母親だって、仕事で早番して

遅番して疲れて帰ってきて、

子供4人の洗濯に食事、

 

夜中は寝ないで、持ち帰った仕事して、

悪魔が帰ってきたら、酷い目に遭って、

 

見ててかわいそうだった。

助けてあげたかった。

 

何も出来なかった。

 

自分に振り変わると、怖いから。

 

悪魔を止めれなかった。

 

小学生の時、本当に悪魔の仕業だと思い、

本で見た悪魔払いの護符を

見よう見まねで作って、悪魔の枕元に

入れたこともあった。

 

何も変わらなかった。

 

ごめんね。無力な私を許してね。

お母さん。

 

 

欲しい物があっても、

我慢して言わなくなった。

 

給食費もなかなか貰えなくて、

学校では、「忘れてきました。」

と答えていた。

 

 

 

悪魔の機嫌が良い時は、

本当に楽しかった。

 

いろんなことを教えてくれるし、

本でいっぱい学べと、

歴史の本はいっぱい買ってくれた。

 

いろんな所に連れて行ってくれた。

 

スキーも水泳も陸上もやった。

バスケも乗馬も登山も。

いろんな人にも出会った。

 

 

でも、一度、スイッチが入ると、

暴れ馬のように荒れまくる悪魔を

止めることは出来なかった。

 

怖くて、布団の中に隠れて、

夜が過ぎるのを待った。

 

 

 

夜は、他にもいろんなモノが

やってきた。

 

怖い存在達が、ウロチョロしている。

 

近付けないように、ありったけの

ぬいぐるみで、自分の布団の周りに

結界を巡らす。

 

ケンカがない静かな夜は、それらが

より活発に動き回っていて、

結局寝れなかった。

 

中学生になると、自分の部屋を

車庫の二階に作ってもらい、

夜は別に寝るようになった。

 

騒ぐ声が聞こえてきても、

布団に潜って聞こえないフリをした。

 

 

弟達も問題行動を起こすことが増え、

安らぐ時がなかった。

 

でも、誰も悪魔の家庭内暴力のことを

外に漏らすことはなかった。。。

 

 

母に大人になってから聞いたことがある。

「なんで、離婚しなかったの?」

 

母は、答えなかった。

 

 

そういう母も、非常に厳しい人だった。

神経質でヒステリックでもあり、

ちょっとしたことで私達は、頭を叩かれていた。

 

宿題が出来ないとか、

靴を揃えないとか、

洋服を裏返しに脱いて洗濯に出すなど、

 

日常生活の当たり前のことがきちんと

出来ないと、すぐ頭をペシっと叩かれた。

 

そして、極端に音を嫌い、

キーホルダーについた鈴の音もダメで、

切り落とされた。

 

リコーダーの練習も、

ピアノの音もダメで、

ピアノを弾こうとすると、止められた。

 

母は母で、嫌な人間だなと思う

自分がいるようになった。

 

 

 

悪魔の行いは、ずっと続いていた。

 

〜②に続く〜