水溜まりに映る月 -21ページ目

水溜まりに映る月

水溜まりに映った幻に手を延ばしても掴めない。

ただ、その光を感じることも、綺麗だと思うこともできる。

 いわゆる、年をとる、というのはおおよそ大別して3つの流れがあると思う。

無意味に年を重ねるのと、

意味があると勘違いして年を重ねるのと、

意味を持って年を重ねる。



 ちなみに、俺の場合は「意味を持って年を重ねたいと思っているけど、結局無意味に年を重ねている」だ。

 要するに、一番最初なわけだが。



 昨日、真夜中にふと目が覚めて(トイレに行きたかっただけだけど)、なにげにその後ちょっと眠れなくなったので適当にツイートしていた。



 重さがないから良いんだよ、と。その言葉が妙に頭に残っている。ちなみに、別に二次元のアニメキャラの話をしているわけではない。



 "どこかに行きたい"

 と、そういう思想でも流行っているんだろうか?と思うほど、最近は異世界に転生するだとか、ゲームの世界に閉じこめられるとか、そんな話が流行っている気がする。



 "どこかに行きたい"

 目的なんてものはなく、目的地なんてあるわけもなく。今いるここじゃなければどこでも良く、ついでに今の自分から変化できるならなお良い。


 どこかに行くための手段さえ問わないのだろう。或いは自傷だったり、他傷だったり。



 ただ願うだけならタダだよな。フワフワと上の空で"どこかに行きたい"っていう願望だけを口にする。愚痴にする。愚地にする。



 重さが無いから良いんだよ、と。

 目的をもったらキツい。目的地を得たら現実味を帯びてしまう。"現実"なんて誰も求めていないのだろう。だって、"どこかに行きたい"と願望する人間の"現実"が(少なくともその人にとっては)ロクなものであるはずがない。



 目的は重荷だ。目的地は負担だ。現実は重すぎる。

 重さが無いから良いんだろう。

"どこか"には全く重さがない。現実味が無く、現実ではなく、だからこそそれを否定する人もいるのかもしれないけど。現実味など、現実が楽しい人が勝手に味わっていればいいのだと思う。


「あなたが美味しいと思う味を私も好むと思ってほしくない」

 そんな風に誰かが口にした言葉に、もっともらしく相づちを打って、したり顔で

「誰も私のことなんてわからない」

 なんて言う。わかって欲しいとも思ってないくせに。




 逃避することさえできず、フワフワと浮遊し続ける。「重さがないから良いんだよ」と嘯きながら。


 特別な出来事がなくても、特別な力が無くても、自分を変えることはできる。でも、今日何もできない人は、明日になっても、明後日になっても1年後でも同じことを言い続けるんだろう。


 結局の所、どれだけ重さを無くした所で、肉体は嫌でも重さを持つし、その肉体を支える精神もプライドも自分が思っている以上にずっと大きくて重たいものだ。


 そんな苦い現実をはんで、舌を出しながら、時々自分の重さから解放されながら、「どこかに行きたい」と思う人は、「どこにも行けない」からこそ「どこかに行きたい」と上の空の願望を口にするんだろう。


 だって、どこにでも行ける人は、「どこかに行きたい」なんてそもそも思わないから。


 本当にままならない。無い物ねだりは、やりはじめたらキリがないね。



 とりあえず、俺は今、北海道と広島に行きたいよ。


 特別な出来事がなくても、特別な力が無くても、自分を変える意思があっても、自分を変える努力をしていても、決定的に自分が変わるかどうかはわからない。


 本当、理不尽だと思う。