「スポーツ、スクリーン、セックス」。 

 

何年も前から耳にしていた「3S政策」という言葉。

 

大衆を「愚民化」させるための強力な手段だと言われてきたが、その中でも**最も恐ろしいのは「セックス」**だと、今なら断言できる。

 

かつて、私自身も毎日抜きまくっていた頃は、この問題の本当のヤバさなんて、これっぽっちも実感していなかった。

 

毎日、ネット上を彷徨っては、ずりネタを探す膨大な時間。

 

気づけば脳はエロに支配され、その時間は際限なく伸びていった。

 

抜くのが当たり前の生活。

 

だが、潜在意識の奥底には、知らず知らずのうちに「罪悪感」が積み重なっていたのだ。

 

今になってハッキリわかる。

 

この「罪悪感」こそが、現実の女性と接する時に私をキョドらせ、堂々と対峙することを阻み、虚勢を張らせていた元凶だった。

 

エロ禁、そしてオナ禁を始めて1年以上が経ち、ポルノを観ることもなくなった。

 

長年染み付いていた「エロを観て抜くのが当然」という洗脳から、ようやく解放されたと実感している。

 

抜けば抜くほど「世界」が見えなくなる

 

オナ禁を始め、抜くことをやめて初めて、この世の中の**「異様さ」**が客観的に見えてきた。

 

なぜ、ネット上の至るところに、まったく関係のないウェブページにまでエロ広告が溢れているのか? 

 

少しでも気を抜けば、ネットのどこへ行っても常に「抜く」ことへ誘導されるような、まるで罠だらけの世界だ。

 

私の青春時代は80年代。

 

VHSのエロビデオはあったし、エロコンテンツも出回り始めてはいた。

 

だが、今ほど簡単に「抜きネタ」をゲットできる時代ではなかった。

 

エロ本やエロビデオを手に入れるには、恥ずかしさや面倒くささという「手間」があったのだ。

 

あの伝説の無修正ビデオ「洗濯屋ケンちゃん」だって、ダビングを繰り返されて画質は粗悪だった。

 

さらに時代を遡れば、エロビデオもエロ本もなかった時代は、もっと「性」は直接的なセックスへと向かっていたはずだ。

 

遊郭や女郎部屋へ足を運ぶのが当たり前だった時代。

 

もちろん現代でも売春は盛んだが、あまりにもエロコンテンツが溢れすぎているせいで、「本当のセックスは面倒くさい。画像や動画で抜けばいいや」という発想になりがちなのだ。

 

現代の先進国は、とてつもない高画質のエロ動画をスマホで気軽に楽しめる時代。

 

欧米のティーンエイジャーの間で、「実際の女性とセックスしようとすると勃起できない」という問題が流行しているというニュースを聞いて、私は心底納得した。

 

それほどまでに、現代のエロコンテンツが脳に与える「破壊度」は凄まじい

高画質エロで抜きまくった結果、本物の女性とセックスできなくなる男が続出している、それが現実なのだ。

 

今の子供たちは、小学生のうちからスマホでエロを観始めるという。

 

ある意味、彼らは不幸だ。インポな「オナ猿」が増えれば、結婚や出産は減り、人口削減は「成功」するだろう。

 

日本でも、どうやら成人男性の90%が「オナ猿」になってしまったらしい。

 

街に溢れる「精気を抜かれた男たち」と社会の衰退

 

日々社会に溢れる性犯罪の多さは、男たちが「オナ猿」にされてしまっているからだと僕は思う。

 

 街を歩けば、目がうつろで、まるで精気を抜かれたような男たちばかり

 

そして、その周りには常に巨大な「射精産業」が発展している。

 

これでは侍などいなくなるわけだ。

 

日本の男たちは意図的に弱体化させられてしまったのだ。

 

「そりゃ、他国に侵略されかけるわけだ」と、しみじみと感じている。このままでは近いうちに本当に乗っ取られ、日本は滅亡まっしぐらだろう。

 

オナ禁とは、支配者層への「反乱」だ

 

この狂気から正気を取り戻すには、まず「エロ禁」から始めなければならない。 

 

エロ禁をして、一定期間オナ禁を続ければ、周りで何が起きているのかが、驚くほど客観的に見えてくるはずだ。

 

スポーツやスクリーンメディアといったものも、結局は愚民化政策の一環として仕掛けられたものだということが、ハッキリと見えてくるだろう。

 

エロコンテンツは、間違いなく支配層に仕掛けられた「呪い」だ。

 

だからこそ、**オナ禁とは、この支配層への静かなる「反乱」**なのだ。

 

彼らが悪意を持ってかけたこの呪いを打ち破る、唯一の手段だと私は信じている。