オナ禁は230日目を迎えた。

 

ここ数日間は性欲の高まりは収まっている。

 

ムラムラ欲情感はアップダウンの波がある。

 

今は落ち着いているので楽で良い。

 

オナ禁をずっと続けてきてようやく気付いてきたことは、承認欲求が少なくなってきたことだ。

 

以前までは、人に自分のことをわかってほしい、理解してほしい、もっと自分を知ってほしいといつも感じていた。

 

それでいながら、どうせ誰も自分のことなんかわかってくれないだろうとかいつも感じていた。

 

今にして思えば、傲慢だったなと思う。

 

今よりずっと若いころから、自己肯定感がいつも低かった。

 

勉強もできなかったし、女の子にモテたとか恋愛で良い思い出なども皆無だった。

 

他人に認められたいと感じていながら、どうせわかってくれないだろうと塞ぎこんでいた。

 

何かをすることは、他人に認められるためのものだったと思う。

 

若いころから、ずっとそんな生き方をしていたので、何をやっても中途半端で、気づけば人生半ばを過ぎていた。

 

そして自己肯定感が低いまま大人になり、オッサンになってしまった。

 

オナ禁するまで、自己肯定感が低い原因がオナニーだったなんてつゆにも想像できなかった。

 

怠惰な自分が嫌で、叩き直そうと思い立ってもあってオナ禁を始めた。

 

数か月経ってきて、精エネルギーが溜まってきたら、自己肯定感が段々と上がってきたのが少しずつわかってきた。

 

ずっと暗いネガティブな想念の巣窟だった自分の心に活力と光が差し始めてきたのがわかってきた。

 

オナ猿だった頃は、精エネルギーが不足していたから、情緒不安定で、劣等感の塊で、他人が基本的に怖かったから、いつも虚勢を張って他人と接していた。

 

しかし今は人が怖いとかは感じなくなってきたので、以前よりずっと不動な落ち着いた感覚が宿るようになり、それでいて良い意味で攻撃的にもなってきたので、人と接していて、気後れすることがなくなってきた。

 

以前はオドオドして怯えていたから、短気で怒りやすかったが、今は怒りの感覚が起きたとしてもすぐに消え去るようになった。

 

女性と接する時、話している時とかも、目を合わせるのが基本苦手だったが、今は堂々とガン見して話せるようになった。

 

オナ猿でありながら、身体はそれなりに鍛えてはいたので、マシではあったのかもしれないが、苦しいから鍛えても鍛えても劣等感や肯定感の低さはぬぐえなかった。

 

今にして思えば、なんて自虐的な生活をしていたのだろうかとも思う。

 

今は他人のことは益々どうでもよくなってきたというか、人は人、自分は自分で良いと心の奥底から思えるようになってきたし、それでいてもっと新しい友人関係が欲しいと思えるようになり、もっと人の前に出て行きたく感じるようになってきた。

 

少しずつ確信してきたことは、先人達が言っていた通り、オナ禁は潜在意識の浄化をしてくれる作用があるということなようである。

 

自己肯定感を上げるという点で、オナ禁は現時点で知りえた限り、最強のソリューションだと思う。

 

今もセクリセしたいとは思うが、それにも増して、この精エネルギーが溜まって還元されたことによる、独特の気持ちよさ、身体の調子の良さ、エネルギーが充填された独特の感覚は、何にも比べられないくらい素晴らしい。

 

50歳を超えて、こんなことがわかってくるようになるとは思いもしなかった。