『はっきりしない?病名がわからないのか?なぜだ?きちんと検査はしたのか?』
青ざめ始めたサジャ
さっきまで父母の事実に自棄を起こしアルコールににげようとした事はすっかり抜け落ちていた。
実の所、この事が生きる上で一番重要な事だったとあとから気付く。
『な、なんだ…そんな青い顔して…そういえば少し体は熱く感じた…熱があるのか?もしかして無理を押して俺についてきたのか?』
あれこれとマイナスの引き出しばかりを開け始めるサジャに、スソンは説明するしかなかった。
『……体調が悪くて病院に行ったの…HCG数値が上がってるんですって…』
『な、何だって?!その数値が上がるとどうなるんだ?』
『ご、ごめんなさい…その…』
サジャはスソンまで何かの病に犯されているのではないかと動揺する。
これからの人生を共に歩もうと誓ったのに、叶わない夢となりスソンが謝罪しているのだと思い至り激しく動揺した。
しかし当のスソンは過去のトラウマにより言い出せない。
ヘテを妊娠した時の事を思い出し全身が冷えて固まったように身動きができなくなる。
ただただ純粋に分かち合いたかった喜びが一瞬で絶望に変わった。あの瞬間を思い出すだけでいつも呼吸が浅くなる。そして胸が苦しくなるのだ。
最大の幸福が地獄に変貌した傷を未だ癒せていないスソンはやはり告白を躊躇する
『言いたくないわ…怖くて』
『怖い?怖いって…口に出せない程なのか?そんな…いや、確かに最近食事も残してるな…身体も痩せてきて…ああスソンどうしたらいい?お前まで失くしたら生きていけない。。』
『……』
『何なんだ?主治医に電話する。何故俺に連絡しないんだ?!』
『私が止めたの…貴方がどう感じるか分からないし、もしかして困るかもしれないし』
『何故止めるんだ?もしかしてもう…手遅れ…なのか?』
『…』
ガタガタと肩を震わせるスソンの様子にただならなぬ恐怖が襲い直ぐ様サジャは内線をかけ始めた
『パクか?直ぐにドクターを呼べ、スソンが危ない』
『え!ちょっとサジャ待って』
スソンの話も聞かずサジャはスソンを抱き上げた。
必死なサジャにスソンは勇気を奮いだした。
『降ろしてサジャ、…違うの…あの…で、できたの!…赤ちゃんが』
サジャの首にしがみついたままとうとう真実を口に出しスソンは強く目蓋を閉じた。
恐怖でサジャの表情を見たくなかった。
『え?』
『だ、だからあの…赤ちゃんが…できたみたいで…』
『HCGって?』
『妊娠すると分泌量が増えるって…』
『妊娠……え?に、妊娠?なんでそんな…だ、大事な事を黙って…』
『私だって早く話したかったけど、昔のあの事があって又貴方に拒絶や否定をされたら怖くてなかなか言えなかった…』
確かにしばらく前に体調不良で仕事を早退したと聞いた事を思い出した。
あれから彼女は事実を話せないまま不出来な夫を支えるように警察署にも同行し心の乱れを隠し切れない自分に寄り添ってくれた。
『…』
スソンを抱き上げたままサジャは停止し微動だにしない。
サジャはようやくゆっくりとスソンを下ろした。
スソンが恐る恐る見上げると
サジャの顔は涙でぐちゃぐちゃに濡れていた。
『…ああ、スソン…本当か?本当に?…本当にか?』
スソンは頷いた。
『あぁ、神様…』
サジャは胸が一杯になるという事を初めて体験した。何も言えずただただスソンを抱きしめた。
スソンはサジャの一言に驚いていた。
自身がまるで全知全能の神かのように振る舞っていた傲慢なあのイ・サジャが震えながら神に感謝している。
『…あの頃の愚かな自分を消し去りたい…俺だけがいつも君に与えて貰ってばかりだ…本当にすまない…』
『……』
スソンの目から涙が溢れた。
『ヘテの時にあれだけ傷つけたんだ躊躇するのは当たり前だ…言うの不安だったろ?怖がらせてごめん…』
『ううん。私が勝手に怖がっただけよ…もうあの頃とは違うって分かってるのに…
本当はもう少し貴方が落ち着いてから言おうと思ったけど…』
『……父親と母親の事実を受け止めきれないかと思ったんだ…けど、もうそんな事吹き飛んでいった。事実は事実でしかない。狼狽してる場合じゃなかったな…』
アルコールに逃げようとした己を恥じた
『過去は過去だ…立ち止まれない…』
過ぎ去った時間にいくら空虚を感じようが成す術はない、父や母の事実以上に、それが吹き飛ぶほどスソンの生命が大切で、彼女を失くしては生きてはいけない事に改めて気付かされた。
『…貴方はお父様と同じで後から我が子の存在を知った事に罪悪感を感じてる。だけどこれからは違う。お父様とは違って変えられる未来を持ってる』
『…スソン』
スソンの白い腕が伸び、サジャの頬に触れ優しく包む。
そしてサジャの唇にそっと口付けた。
サジャはスソンの唇から、そして頬に触れた指先から流れ込む愛の全てをようやく掴む事ができた。
己の消化しきれぬ心がみるみると晴れていくのが分かった。
心の中に沈め厳重に閉じられた箱の蓋が開き、中から飛び出した様々な想いは全て解放した。
不安や疑心暗鬼や怒りも全てを解き放ち、もう2度と気持ちを押し込む事なく父母の分も生きたい。
何もかもを解き放ち最後に箱を覗き込んだ時その底に残るは希望の光ただ1つである。
巡り逢いの果てに捕まえた光はサジャにとってスソンであり、その光はヘテとこれから生まれる新しい家族という希望をサジャに与えたのだ。
『ありがとう…母さん、父さんって…言いたくなった』
『うん…』
孤独を手放したサジャは憑き物が取れたようにすっきりとした表情をしていた。
『ありがとう…スソン…愛してる…死ぬ程愛してる』
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