どれくらい眠っていたのか…喉の渇きで目が醒める。
天井が変形して横たわるこちらに向かって襲い来る。
「ヤバ…頭いっ…」
頭は痛い。体は平衡感覚を失って立ち上がる事が難しい。
「水…」
起き上がって冷蔵庫までも行く自信はない。何より目覚めたくはない。もし、はっきりと目覚めてしまえばそこには昨日の現実がのしかかる。
結婚間近の恋人の浮気現場を目撃。笑えない冗談に胸が痛む。
出来ればこのまま眠りの中に居座って永遠に眠っていたい。記憶を無くして、目覚めずに済むなら凍らせてほしい。この心みたいに。
夢だよって…誰かに言ってもらいたい。
「あ、、仕事!!……」
頭の全てで内部で何かが暴れているように感じる
「あー、土曜か…イタタ。。気持ち悪っっ…」
昨日は休日の前で社内の皆が浮足立って見えたのを思い出しホッとする。
静まり返った部屋のどこかで携帯のバイブ音が微かに聞こえる。
鞄の中に入れたままであろうその音は鮮明というよりややくぐもって聞こえる。
頭の中で鳴り響く騒音とバイブ音が攻防を繰り広げ、結果意を決して起き上がる事にした。
テーブルの上に置かれた鞄。
いつもならこんなところには置かない筈。疑問に思いながらも諦める事なく鳴り続ける音の主を手にした。相手も確かめずに通話ボタンを押す。
「…はい」
「あ、、おはようございます。気がつきました?あの…え、、と昨日のBARで…」
聞き覚えのあるハスキーな声。
「あ!見習い君?」
「はい。見習いです。その…大丈夫かなって思って。一応水とかスープとか二日酔いに良さそうなもの買って玄関ドアに掛けてるんで…もし良ければどうぞ」
「え…」
直ぐに玄関ドアを確かめると、近くのコンビニ袋が下がっていた。
「本当だ…ありがとう…心配してくれて…こんなに沢山…」
昨日会ったばかりの殆ど見ず知らずの人からの親切心は傷ついた心には灯火の様に見えた。
「いえ、、ただ…その。言いにくいんですけど…たまたま掛かってきた電話に出ちゃって…まぁ、それで住まいが分かったんですけど、もしかしたら勘違いとかされてるかもと…もし何か問題があればきちんと謝罪しに行くんで。きっと婚約者の人ですよね…あれは…」
「そう。。ううん。気にしないで。」
「………大丈夫…ですか?」
何の事を心配されているかすぐに分かった。
ハッキリと核心を突かれた訳ではないなりにしっかりと輪郭に触れる。
「…えぇ、大丈夫」
「そうですか。なら良かった。では、また。お元気で。お店にも是非またいらしてください」
「ありがとう。」
精一杯の一言だった。何気ない優しさ。思いやり。そういった温もりが今は胸に痛かった。初対面で飛び込みで迷い込んできた人間にここまで親切にしてくれるなんて…
それが染み入る程に痛めつけられた心に、
やっぱりあの悪夢は夢じゃなかったんだと思い知る。
涙のスイッチが故障した様に少しのタイミングでも知らず内に溢れだす。
手の中で又携帯が震え始めた。
「はい…」
「ごめん。やっぱ心配だから…ドア開けてくれる?」
「え?」
玄関のドアを開けるとそこには、息が上がった様に両膝に手を置き息を整える彼の姿があった。
「大丈夫じゃ ないでしょ…それ…。」
頬を伝う涙を見つけると瞳には同情の色が広がった。
「これ?おかしいのよ知らない内に流れてきちゃうの。なんだろ…蛇口が壊れたみたい。」
笑うと険しい表情を見せた。
「無理に笑わなくていいよ。体は?頭痛いでしょ」
「 え?えぇ…頭がガンガンして…」
「うん。それ二日酔いだから。」
「二日酔い?これが?っていうか玄関でこんな話もなんだから…入る?何もないけど」
「こらこら。そんな簡単に男を部屋にあげちゃダメですよ」
「そっか…でも…だったらどうしたら?え?ナニかするつもりじゃないでしょう?」
考えが追いつかない。
「あはは。しないけど…。じゃあ、何もしない約束で。お邪魔します」
「コーヒーしかないけど。」
「うん。大丈夫。場所教えてくれたら自分でやるよ…頭動かしたら痛いでしょ?座ってて」
「ありがとう…」
キッチンに立つ見習い君を不思議な気持ちで見つけた。
どうして部屋に入れてしまったのか、思うに彼は男性特有の威圧感がない。
身長もどちらかと言えば高くない。顔立ちも童顔で警戒心を思わず緩めてしまう。
何より、実際昨夜地獄から救ってくれた。
男性というより年下男子。地元で働く3つ下の弟と同じ感覚なのかも知れない。はたまた10下の高校生の弟?
そんな事を考えつつ、二日酔いによる幻覚なのか地面の歪みや天井の強襲と孤独に闘っていた。
「見習い君……」
「え?何ですか?」
「見習い君って名前…なんだか失礼よね…」
「あぁ、僕は稜です。【リョウ】ありきたりですけど。お客さんは…何て読むんですか?セン?表札…漢字難しくて」
「あぁ、あれ?旋って【めぐる】なの。変な名前で昔はよくいじめられた。みんなはセンって呼ぶからセンで良いよ」
「いや。おれは他の人と同じは嫌だな。めぐるって呼ぶ…」
「え?っと、、それは」
婚約者に呼ばれる名前で思わず心臓がキュッと痛む
「誰か他に呼んでた?じゃあメグさんで良い?」
察したのか意味ありげに口角を上げた。
「じゃあ私はリョウ君で。」
「超普通だね」
「いや、逆にアレンジ出来るとこある?」
「まぁ、、ないか!」
そんな会話の合間にコーヒーと温めたクロワッサンが目の前に置かれた。
「え?これは?」
「お腹空いてないかもしれないけど…昨日結構出してたから…」
言葉を濁す様子に断片的な記憶がよぎる。
「え?出してってもしかして…私かなり」
「うん。便器抱えてたよ」
「ご、ごめんなさい。え、、本当に?ちょっと…いやだ。恥ずかしい」
「なんで?良いよ。昨日はメグさん全ての毒を吐き出さなくちゃいけなかったんだよ。」
「だからって…本当にリバースするなんて。。とんだ醜態だわ…っていうか、昨日背中さすってくれたのってもしかして」
彼は少し笑って手を挙げた
「はい。僕です」
「はぁ、、恥ずかしい。27にもなってなんて失態?」
衝撃に言葉を失った。
「27なんだ。結構アレだね」
「ん?何よ。。おばさんってこと?誕生日が来たら28になるのよ」
「…いや、ちがうちがう。若いなって思って」
「間があった。嘘だね。そう言う貴方はおいくつなの?」
「いやぁ、言うの申し訳ないなぁ…来月26になるよ」
「26?見えない!」
「あぁ、どうせ子供っぽいって思った感じ?」
「うん。下手したら10代かなって…高校生の弟と同じくらいかと」
「それは酷すぎる」
丸いテーブルを挟んで向かいに座っていた彼は急に不機嫌になり立ち上がる
「??」
「俺の事舐めてる?そんなガキじゃないよ?」
私の両手をそっと引き上げ勢いのついでに少年の意外と逞しい胸に飛び込む形になった。そして腕をそのまま自分の腰に回す。
「なに?」
「ん?捕まえてみた。。子供扱いするからさ」
ゆっくりと顔を近づけてくる。
逃げようにも両腕の中にしっかりと捕まった私はまるで罠にかかった様だった。
「ダメダメー!何もしない約束でしょ!」
「ぷ、、あはは。そうだった。約束したんだった。なぁんだ残念」
笑いながら私を解放する。
からかわれた恥ずかしさと解放の安堵とほんの少し残念だと思う自分がいた。
「でもさ、メグさんて◯×△株式会社でしょ?大手の」
「!!どうしてそれを?」
「昨日電話で婚約者の彼さんが言ってた。。自分は◯×△株式会社の者で婚約者だって。確か同僚だって言ってたから。」
「あぁ、、同僚って言ってもあちらは重役の息子だから…なんて言うか。私とはいろんな意味で格差があるの。私はただの何もない社員よ」
「へぇ、そうなんだ。。ま、俺にはあんまり関係ないし。大企業たって…中身がどうだかわかったもんじゃないし」
「何よ。これでも必死で入社したのよ?悪い会社じゃないし、企業としては内部はわからないけど従業員としては働きやすいし仕事はやり甲斐あるし。」
「浮気症の彼氏は同じ会社だし?」
「……」
「ごめん。。言いすぎた。」
「いいの。大丈夫。ちょっと寂しいだけだから」
「寂しい?ムカつかないの?」
「それが、不思議にムカつかないの。やっぱりなって…だって相手の子は秘書課の華だし。頭脳も眉目も明晰で秀麗。性格も良くて…。何故商品開発の研究室の私なんかと仲良いのか分からない。彼だってそう。仕事は出来るし優しくて頼りになるし…なんて言うか。私とよりあの2人の方がお似合いかもなって妙に納得した自分がいた」
私のつまらない話を目の前に座ってクロワッサンをかじりながら黙って聞いている。
「面白くないでしょ?こんな話」
「ふむ…うーん。面白いか面白くないかで言えば面白くない。メグさん。。性格良い奴が友達の婚約者とキスなんてしないし。仕事出来る奴が職場でキスなんてしないでしょ?」
「それもそうね」
「寂しいなら抱こうか?慰めるよ?」
両手を広げて見せた。
「あはは。ありがとう…そこ、クロワッサン付いてるよ」
「どこ?」
「唇の横」
「舐めて取って」
「ばか!なんで唇とんがってるのよ。。でも…ありがとう。なんか元気出た。出ないけど。出た気がする」
「どっち?まぁいいか。気が紛れたなら…で?どうするのこれから」
「うん。。ちょっと落ち着いたら彼と話すわ。どちらにしても簡単に済ませられないし。。」
「そっか…まぁまた何かあったら電話して。それ、俺の番号だから」
携帯を指差す
「それ!番号いつの間に?ってビックリした」
「割とメグさん隙だらけだったけど…彼さんとの電話切る時に思いついてさ…何か心配だったし。もし何かあったらって思って…ごめん。気分良くないよな普通は。都合悪ければ着拒で良いから。。」
「ううん。助かった。出すもの出してスッキリしたしね。色々と本当にありがとう…」
「だから、無理矢理笑うなって…返って痛々しいから。それからお客様相手に馴れ馴れしく話したけど…店ではちゃんとするから又来てくれる?」
真剣に問う瞳が少し大人びて見える。
「勿論!行くから…又毒吐かせてね」
「うへー。本物吐くからさぁ。なんて、うそうそ。次は俺が悪酔いしないように調節するから…」
「はー!生意気な。。でも、お願いします^_^」
「じゃあ、顔色はさっきより良くなったし…俺もう行くわ。。お邪魔しました!」
出て行く背中を見送ると1人。椅子の背もたれに後頭部を乗せ天井を仰いだ。
静まり返った空間に酷く孤独を感じ、逃げ出したくなる。どうしようもない現実。
そのうち、玄関のドアノブをガチャガチャと回す音がする。
「…あれ?忘れ物?」
扉を開けると、無言で男が押し入る。
「え、、ちょっ、、」
そこに立っていたのは婚約者の一馬だった。
adore you3へつづく
インスピレーション受けました↓