サジャの手が頬に触れた瞬間に熱いものが噴き上がったものが何なのかを解明する必要があったからだ。とうの昔に忘れていた筈の情熱はあっさりと再燃してしまった。
『一体…何をしたっていうの…私が…』
身に覚えのない侮辱やサジャが向ける敵意に満ちた視線はスソンをいちいち立ち上がろうとする気持ちを潰した。
大荷物の鞄は肩に食い込む。巻き起こる風は冷たくスソン目掛けて吹きすさぶ
『さむ…なんなの今日は。。みんなして私に嫌がらせ?厄日じゃない…』
何もかもが嫌になった。
次のバス停までまだまだ距離がある。これから先の未来、不安に絶望。様々な想いに押しつぶされそうなスソンは足が動かなかった。
『おい!!』
目の前に停車した高級車から降りて来たのはさっきの憎い男だった。顔を見ただけで湧き立つ熱情が抑える事もできないもどかしさ。
『なに?もう本当に貴方と関わりたくないから…顔も見たくないから…呼ばないでよ』
『……あんな事をするつもりはなかった…ごめん』
失礼な態度だった事を謝罪できる男ではある。
『……いいわ。その事については謝罪を受け入れる。だからもう消えて』
『荷物…貸せよ』
手を伸ばすと肩に食い込む大荷物の鞄を掴んだ。
『何であんたに荷物渡さなきゃならないの?』
『……退職は撤回だ。あの会社にはお前がいないとならないと部下たちが抗議しに来た…』
『それで?だからなんなの?こんな所まで追いかけてきて?退職は撤回したから何なの?』
『だから…荷物を…』
これ以上は我慢ならなかった。
『あんなに侮辱されてるのになんで…嫌いになれないの…』
『え?』
『あ、違っ…なんでもないわ…自分のバカさに呆れてるのよ…で?私が戻ってどうするの?貴方はただ会社を買収しただけで関係ないんでしょ?お祖父様の代理だって…』
『確かにそうだが、会長は大きな手術を終えたばかりだから俺たちに代理をさせたんだ…暫くは…それから子供の事も話を聞きたい』
『…貴方…結婚したんじゃなかった?大企業の令嬢と。別れた後すぐに』
『ああ。結婚じゃなく婚約だ…今も』
『だったら子供の事は知らない方が良いんじゃない?幸い私は貴方の友人達とも寝てるみたいだしね誰がヘテの父親かわからないってしていた方が良いでしょ?貴方の都合では。そうだわあの中の連中に父子鑑定でも頼もうかしら』
『……』
『そう言えばお母様はお元気?あの時は色々とお世話になったわ』
『??あの人がどうかしたのか?』
『ヘテを堕ろすお金と当座の生活資金、それから働き口まで慰謝料としてくださったわ貴方の前から消える様に…あの時そう言えば言ってた「サジャには貴女の本性は金持ち男と結婚を夢見る浅ましい女だと言い聞かせてますから助けを求めても無駄だ」と言われたわ。人を平気で貶める母親と私…どちらが浅ましいかしらね』
『なっ…』
『ヘテの事はそっとしといて、貴方は婚約者と無事に婚姻する事。そうすれば良いわ』
荷物を持ちかえ元きた道を戻るように踵を返す。
『正直今すぐ辞めるのは難しかったから…良かったわ』
『待て…さっきの話…』
『触らないで!あんたはヘテを殺そうとした人間の内の1人よ。そんな人間に触られたくもない』
『俺は知らなかったんだ!』
『そ?だから?知らなかったら助けを求めても門前払いしても良いの?貴方しか頼る人もいなかったのに?』
『…返す言葉もない。友人の1人が君と寝たと、、他の友人達も。その言葉を信じて…』
『じゃあこれからも友人を信じれば?ただ貴方がやった事は私とヘテを見殺しにした事。今更何を話すの?何もないわ…』
『裏切られたと…』
『貴方は哀れな人と思うわ。お母様は血の繋がらない貴方を受け入れてくれた人だもの。あの人が言う事は全てだものね…あてがわれた友人もお母様作成の友人よね?気の毒だわ。いつか自分の人生を歩めたら良いわね。』
『ちょっと待ってくれ、せめて送らせてくれ…一目で良いから顔が見たい…息子の』
『……父親と言わないで』
『え?良いのか?』
『一目だけね…私にあの子から父親を奪う権利はないから』
『……』
スソンから荷物を奪い高級車に投げ込み、呆然とするスソンを助手席に座らせた。
『会社に戻って荷物を置いて来るんだ』
強引な所は変わらない。
言われるままに自分の個室へ荷物を運ぶ。
フロアに到着した途端に部下達が集まってくる。
『部長!心配してました。荷物を持って出て行くから…』
『あのcy社の副社長。何もわかっていなくて、この先部長がいなかったらこの会社は立ち行かなくなると、私達も辞めると言ったんです。』
『ありがとう…貴方達。でももう無茶はしちゃだめよ?あの副社長はここの社長に就任するそうだから…こうして無事に帰ってきたから明日から又頑張って仕事しましょう。行き違いがあっただけだから…副社長を恨んだりしないでね』
『でも部長をすぐに追い出すなんて』
『社内のいざこざは仕事に影響するわ。例え買収に遭ったからといってバラバラになる必要はないの。副社長達もうまく一丸になってもらわなきゃならないから』
『…分かりました』
不本意ながらスソンの意見を皆は納得した。
離れた場所で一部始終を聞いていたサジャは己の抱いていたスソンへの認識が誤りであったのではないかと気付く。
スソンは荷物を置き、それから地下駐車場へ向かうためにエレベーターのボタンを押す。
扉が開き、足を踏み入れると後からサジャが乗ってきた。
『な、、何処に隠れてたの?』
『部下達に…cy社を悪く言わなかったな』
『見くびらないでちょうだい。社内の足並みが揃わない会社なんて持たないわ。常識でしょ?どこぞの大学で経営学を徹底的に学ばなくても分かるわ』
『辛辣だな』
『…そう?』
『昔はもっと笑ってた』
『捨てられた私にはもう貴方に笑いかける必要がないだけよ』
『……そうだな』
一瞬悲しげな表情をみせた。
助手席のドアを開きスソンを乗せる。
『………なんだ?』
『別に…昔と変わらないからちょっと調子が狂ってるだけ。私に優しくなんてしなくても良いわ。車だって1人で乗り降りできるから』
『……したいからやってる』
『え?』
『…で?家は遠いのか?』
『まぁね…』
『母が当てがった住居か…行くのが怖いな』
道は悪路で。街からは離れていた。1時間以上かけて到着した家は世辞にも立派なとは言えない佇まいだった。小さな一軒家。それでも庭先には手入れの行き届いた花壇がある。
『ただいま』
『おかえりなさい…』
『誰かと住んでいるのか?君は昔天涯孤独だって』
『ええ、母が見つかったの…見つかった時には病で…貴方のお母様から頂いた慰謝料を使わせてもらって今こうして元気になったのよ…でもその話はしないで』
奥から小さな子を抱き、出てきた女性はか細く弱々しかったが笑顔がスソンに似ていた。
『お客様?どうもこんにちは…あら…あなた』
『あ、会社の上司なの…ちょっと体調くずして送って下さって。ついでにヘテに会いたいって』
『あ、貴女又倒れたの?大丈夫なの?』
異常なまでに心配する母親に違和感を感じながら抱かれている子を見る。
初めて見る人物に警戒しながら大きな目でこちらを見つめる。
『ママ…だれ?』
『おじちゃんはね、ママの会社の人よ』
『は、初めまして…ヘテ君』
スソンに似ていれば少しばかり赤みを帯びた柔らかな髪質になった筈が漆黒の直毛の髪は父譲りだと父子を見てスソンは驚く
差し出された手にそっと小さな手を伸ばし握手した。
『は、はは…ちょっと…すまない』
サジャは堪え切れず外へ出て行く。
『どうしたの?いやだった?』
『…いや…感動して』
『感動?』
『…あの子は小さな頃の自分にそっくり似ている…間違いなく我が子だ』
『最初からそうだと言ってるけど…』
『………』
『もう、良いでしょ?本当に少し疲れてるから横になりたいの…もう帰ってくれる?』
スソンの顔色は青ざめていた
『あ、ああ…』
ヘテとスソンの見送りをバックミラーで確かめながらサジャは喜びや感動の後、怒りと悲しみに満ちた感情に支配されていた。
untitled4へつづく