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もしもこの世界が
喜びで溢れているなら
"
そう思って
自分の世界を見たことは
あるだろうか?
スピ的な言い方すると
私は過去世で
修道女をやりすぎてて
恵まれない人を救うことに
注力してきた魂でね。
(信じなくていいです)
当時は物資も
豊かではなかったから
ジリ貧なのは日常茶飯事。
人を救うことに奔走して
自己犠牲がデフォルトの人生を
何度も繰り返してきた。
だからやりたいことは何?
あなたの夢は?とか
聞かれたら開口一番に
"人を癒すこと救うこと"
って答えてた。
今世も長いこと
その傾向が強くて
自分のための夢ってのが
どうにもよく分からず
苦手だった。
人を救おうとするほどに
疲弊していく自分が
気になって仕方なかった。
夢がいつの間にか
タスクに変わってて
重苦しかった。
"
もしこの世界が
喜びで溢れていたなら
そのとき自分は何を望む?
"
この世界に救うべき人が
誰ひとりとして存在
しなかったとき、
自分は何のために
この命を使うのか?
これ人のためばっか考えて
自分のことを
後回しにしてきた人には
すごく酷な質問だと思う😂
(私はすごく不安になった)
でももしいま
自分が満たされてないと
感じているならば
本気で自分に
問いかけて欲しい🙂↕️
誰の役にも立てないなら
自分は何のために
生きるのか?
結局のところ
そこに他人の喜びも
入ってるから🙂↕️
魂のど真ん中で生きるって
そういうことだから🫶
というわけで
社会貢献とは程遠い
娯楽の写真貼っておきます🐰
