奈良で考える 人と家

奈良で考える 人と家

奈良で建設会社・工務店2社で働き、今は古民家再生事業を営む会社に勤める私いとしんが日々の出来事を通して感じたことなどを綴ります。

心機一転リニューアルして再開した、
「奈良で考える人と家」

今まで以上にテーマを拡げ、
それぞれのお客様との交流はもちろん、
日頃の出来事で感じたことを素直に綴りたいと思います。

それぞれ
「人」
「家」
そして
「サッカー」
など、
”奈良で”考えることで何かが見えてくるような、
そんなブログになればと思います。

ぜひ末永くお付き合い下さい!!

久しぶりすぎる投稿ですが、新しいテーマ「ドラマ見ました」で書かせてもらいます。映画は好きでよく見ている方ですが、ドラマはあまり見ないようにしている私。というのも毎週続く連ドラはどうしても好きになれず、単発か大河のような大作しか見ないようにしているからです。その理由は今回は置いといて、表題の「終りに見た街」です。

 

結論から言うと、歴代でも最高のドラマのひとつだと思いました。それが20年ごとであっても3度も制作される最大の理由かと思います。山田太一原作を宮藤官九郎が脚本。昭和19年にタイムスリップした家族がどのように生き延びようとするのか、という設定と主演が大泉洋とくれば、見ない理由がありません。

 

初めは予想通り、クドカンのふざけたような脚本、大泉洋のコミカルな演技を、吉田羊・堤真一・勝地涼などの実力派俳優陣が見事に補完してテンポ良くストーリーが進みます。とはいえ戦時中の息が詰まるような空気感に次第に重みが増していき、それは特に子ども達の変化として表れてきます。

 

そして衝撃とか、驚愕とか、そんな単純な言葉では表しきれないラストシーン。もう3度目のドラマ化だそうなのでネタバレでいいと思うのですが、主人公が死ぬといういわゆる究極のバッドエンドで、人類の未来・今の世界はこれでいいのかと問いかけ、視聴者に否が応でも考えさせることに成功しているのは、本当に秀作だと思います。

 

そして珍しく「♯終りに見た街」でXを検索して回ったのですが、多くの人が言及していた「若者が時代の空気に感染して思想変化するのが一番怖い」という意見。

 

実はここが自分としては違和感が拭えませんでした。

 

サバゲー好きの元ユーチューバーが「こんな戦争、勝ちゃあいいですよ、勝ちゃあ!」と吠えるシーンは、今どきのリアルとバーチャルの区別も出来ない若者、という解釈でいいと思うのですが、堤真一の息子と大泉洋の娘が、歴史の行く末を知っているからといって戦時中にも関わらず現代的な発想で行動する親たちをなじるシーン。

 

これは僕の解釈では、まだ駆け引きや妥協を知らずいわば純粋な若者が、負けると決まったような戦争にも関わらず、国民が必死でそれに耐えて今の自分に出来ることに取り組んでいることに、むしろ感動して、敢えてそこに身を投じようとしているように見えました。

 

ある意味、特攻隊に志願した戦争末期の若者たちのような、自分の死で国を救えるなどと信じてはいないが、それでも自分が死ぬことで大切な人たちを守ろうとしたような、そんな感情だったような気がしたのです。

 

つまり周囲に染まった、とか、軍国主義に感化された、とかいう単純な話ではないように思えてしかたなかったのでした。もちろん純粋さゆえに間違った方向に行く、それ自体が恐怖であることもわかります。そしてそれを利用して野心を実現し、立場を保身していた指導者たちがいたことも。

 

だからこそ、山田太一・宮藤官九郎はこんな時代はいつでもすぐ目の前に現れる、タイムスリップなどしなくてもいつでも戻れる、そして気が付くとあなたは「終り」に街を見ることになる、と伝えたかったのでしょう。

 

戦後79年経ち、それでもこのドラマが斬新さ・新鮮さ・強烈な恐怖感を伴うのは、どれだけ時代が変化しても人間はまったく変わっておらず、まるでこの世に希望がないかのように思えてなりません。

 

でも、かすかな希望、それはそれこそ純粋な若者たちのように、曇りのない目で世の中の問題を見極め、一人一人が行動すること。その積み重ねしかないのではないかと思いました。ありきたりな結論ですが。

 

「終りに見た街」

 

オススメです。