カーソン・マッカラーズ著 村上春樹訳『心は孤独な狩人』(新潮社)

旧訳が数十年に渡り絶版で古書価も未だ高い、1940年代米文学を代表する一作が新訳で再登場(毎年、某文学賞候補に名の挙がる訳者の仕事で版元が新潮社だ。2、3年後には確実に新潮文庫入りするだろう)。
これがうら若き(発表当時23歳)アメリカ南部の田舎令嬢によるデビュー作かとにわかには信じ難い程、1940年の地方都市を覆う沈滞と人間の鬱屈した心の声を余す所なく描いている紛れもなく傑作。80年前にここまで正面から黒人差別を描写しているのも驚かされる。


武田砂鉄他著『ブックオフ大学ぶらぶら学部』(岬書店。なお、新装版が後に夏葉社より刊行)

これまで古書通の間ではひたすら「鬼子」扱いされるがままだった「ブックオフ」という存在を「文化装置」として(ディープに過ぎる愛情と共に)捉え直す=語り尽くす快著。「ブックオフは「暴力」だ」(小国貴司) …そう、あの圧倒的な物量という「暴力」を前にするとどんなすれっからしも一介の本好き、音楽好き、映画好きへとたやすく武装解除されてしまう。その「暴力」に確かに救われてきた/いる僕らなのだ。
なかでも現役せどらー「Z」氏によるブックオフvsせどらーとの十年に渡る攻防=興亡史の記述は、この巨大チェーンの凋落を日々目撃してきた自分にとっては実感的「同時代史」に他ならない。


カレル・チャペック著 阿部賢一訳『白い病』(岩波文庫)

2020年、全世界を蹂躙し尽くした(そして今なお蹂躙し続けている)コロナ禍の最中、ネット上に公表された新訳が岩波文庫入りーー同レーベルのタイトルの中でかつてこれほど緊急性、スピード感(これも今年頻発されすっかり意味を喪った言葉だ)を伴ったものがあっただろうか。
やはり今年の前半に新訳が刊行されたオルテガの名著を嫌でも思い出さずにはいられないーーつまり〈大衆〉がこの作に於いても鍵である。彼ら〈大衆〉の選択がある未来を予感させるが、彼らは果たして自分たちがそれを「選んだ」という〈自覚〉を持っているのだろうか。否、〈大衆〉は何らの決意も覚悟も自覚しないままに(なしくずしに)最悪の未来のほうを選んでいるかも知れないのだ。その愚かしい姿は、現在の我々のそれになんと似ていることか。



緒方正人著『チッソは私であった 水俣病の思想』(河出文庫)

最悪=災厄の2020年も最後のひと月に入って、素晴らしい一冊に出会った。水俣病の患者認定運動に邁進した後、訴訟団体から離脱し、個人の立場から現代文明全体のラディカルな問い返しへと向かった緒方さんの道行きは、チャペックやオルテガの描いた〈大衆〉からは百万里も遠く離れてゆく旅程である。被害/加害の二項対立そのものを自身の心身という場に於いて再審にかける営みは、詩人・石原吉郎の「シベリア経験」との向き合い方に通じると見た。集団から遠く離れて〈孤〉となること。その傷つきのなかで土地が、経験が思想となり、未来を予告する。


疫病流行のなかで蟄居を余儀なくされる時間も増え、読書時間も増えるかと思いきや、こればかりは例年と変わらず読書ペースは順調に落ちていった。不安のなかで先人の言葉と静かに語らうにもやはり余裕というのが必要で、自分にはそれが無いということを嫌でも思い知らされるばかりの一年となった。
来年、もしより多く、より良く読めるとしたなら、自分の選ぶものはさらにアクチュアリティとは縁遠くなっていき、所謂〈古典〉に触れることが多くなるだろう。否、そうでありたいと願っている。