「…ふりかえってみてもどうもあまり頭の回転のよくない探偵小説愛好家の姿を見る思いがして嘆息を禁じ得ない。もう少しアリバイとか伏線とかに興味を持ち、注意をはらってさえいれば作家の仕掛けた罠にひっかかることはなかったのかもしれないのだ。残念なことにその当時の私は中井英夫と日々を過ごすことに精一杯で、一緒に談笑していたこの老作家のためにほかならぬ私自身が納骨のため旅立つことになろうとはついに思い及ぶことはなかったのである」

(本多正一「薔薇の不在ーー中井英夫納骨記ーー」 『プラネタリウムにて』所収 より)


この一文から四半世紀近くののち、本多は再び中井とともに、しかし前回とは逆の方向に「遠い旅」をすることとなった。「作家の仕掛けた罠」は未だ解けないようだ。




去る(2020年)12月10日、山口県の両親の墓から分骨された中井英夫の遺骨が、東京・下谷の法昌寺に納骨されることとなり、1993年の死から27年目の命日に法要が行われた。葬儀当日と同様、今回の式の導師を勤められたのは、同寺住職にして歌人の福島泰樹師。



福島師の読経は「地の底から響く」(という通常なら凡庸極まる形容が、この場合はそうとしか喩えようもないほどに相応しい)、聴く者の臓腑まで震わすかの如き低音の響きが(普段は信仰などとは無縁な)こちらの心にまで自ずと厳粛な構えをとらせるほどの威厳に満ちて、本堂内に響き渡った。


参会者の焼香が終わったところで、福島師が中井英夫への思いを語られる。それはもはや「僧職」の立場を離れ一個の「文学者」として、この稀有の作家と向き合っているかのように思われた。


福島泰樹師の講和より(大意):

「…中井英夫という人は、田端生まれの生粋の東京人、大変気難しい方でもありましたが、それも含めて東京っ子と言うに相応しい粋(いき)を持った方でした……そういう中井さんが御自身の代表作『虚無への供物』開幕の地である、この下谷に戻ってこられたのは大変良かったと、思います…」


「最後に入院した病院のベッドの上で、中井さんは詩を口述筆記しました…「眠り」という詩です。


眠りがなかなか訪れてこないのは/本人が眠ることを拒否しているからだ/眠りは/優しい母と美しい姉と/が、一体になったものだから/なかなか僕の寝室には/恥ずかしくってきてもらえないのだ


1993年12月10日、ようやく彼のところに母と姉が降りてきて、中井さんはやっと眠りにつくことができたのです…」


「日本人が初めて聖書を翻訳したとき、有名な一節「初(はじめ)に真理(ことば)ありき」…この「ことば」という単語に「真理」という漢字を当てて、それに「ことば」とルビを振ったんですね……中井さんの残した言葉も、後に生きる我々にとっての「真理」として、我々を励ましてくれることでしょう……





本多正一氏のご挨拶(大意):

「本日お越しいただいた皆さまのなかで、生前の中井を知る人は恐らく殆どいないと思いますが、結果としてそれで良かったんじゃないか、とも思います…後世の読者に中井の作品を手渡していく、本日という日がその新たなきっかけになればいいということで…」



福島師は歌人ということもあり、中井英夫と寺山修司の縁についても熱く語られていた。この日、12月10日は中井の命日であると同時に寺山の誕生日でもある。


27年前の冬、地球を終に離れた彗星は、恐らくこれからもこのちいさな惑星の上に生きる者たちに(生と死の日付が永久に変わることがない以上)、なおも解けそうもない「罠」を仕掛けつづけることだろうーー「その人々に」