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わたし魔女のキキ。こっちは西側帝国主義と宥和するフルシチョフ・毛沢東を「修正主義」として断固批判してマルクス-レーニン-スターリンの正統的革命思想を継承し非妥協的に独自路線を貫いた(がために国際的に孤立しまくった)アルバニア労働党指導者エンベル・ホッジャの演説集…って長えよ。
中はけっこう線引きが多い「状態悪し」なので300円になったのか。美本なら割ともう少し高めな設定になってるはず。かつてはヨーロッパや日本にも彼を信奉する「アルバニア派」が少数ながら存在したようだ。この分厚い一冊を線引きしながら学習したであろうかつての持主は、今はどのような思想に生きているのか。

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わたし魔女の…じゃなくて変身少女の春野はるか。こっちは後年のノーベル賞作家が若い頃婦人雑誌に連載したものの後でよっぽど恥じたのか今は作者自身によって永久封印されちゃった通俗不倫小説。

噂には聞いたことがあるが、現物を自分が入手することになるとは(帯無でページもあちこちシミだらけではあるが、それでも200円て)。

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中には(今どきは流行らないタイプの)栞。およそ60年前の一枚の葉が目の前に。


初めて行った中野の「古本案内処」(ブロードウェイを抜けた道沿いにある)には少しながら洋書の棚もあり、なんとロシア語書籍まであった。

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こんな所(てのは中野の土地に失礼か?)でヨシフ・ブロツキイの一巻本全集を落手することになるとは、まことに古本との出会いは摩訶不思議。
今さら学び直して原書を読めるはずもないのだけど、本としての佇まいがとても好ましいのでついつい買ってしまった。手元に在るだけで落ち着くという一冊もある。

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クリスマスなんぞという祭礼とはついぞ縁の無い身とはいえ、たまにはらしいこともしてみたくなる。

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阿佐ヶ谷の古書店に(多分、師走に合わせて)出ていたのをゲット。去年の今ごろ、ヒット御礼の特典で各劇場でプレゼントされていたカードだが終にタイミング合わず入手できなかったもの(最終的に四種類くらい出たはず)。そういやあ、この物語の冒頭も中島本町の商店街でクリスマスセールやってたねえ。


また今ごろになってこの映画を「あいも変わらぬ被害者意識の固まり」だの何だのとあげつらう言葉があちこちから上がっとるようだが、もういい加減にしてくれと、屋上屋を架すことは百も承知で言わねばならぬ。
すずさんたちが「無辜の被害者」としてしか描かれていなかったか?
否、全体主義ー総力戦体制下に於いては全ての市民が「戦闘員」へと仕立て上げられる。プリーモ・レーヴィの言う「グレーゾーン」(灰色の領域)=誰もが被害者でもあり同時に加害者でもある域に落とされるのだ。
日々の空襲も、飢餓寸前の窮状も全てを「天災」の如く無抵抗に受忍するしかなかった、或いはそれを良しとしてきた民衆の愚かさ、罪がすずさんの「ぼーっとしとるウチのまんま死にたかったなあ」のひと言に凝縮されているのだ。「ぼーっとしたまま死ぬこと」を許されなかった「生き延び」こそ、すずさんの負った罪なのだ。
原作にも語られているように「誰かの夢は同時に誰かの悪夢」である、この「灰色の領域」の生活への全面的浸透こそが総力戦体制の基盤であり同時に帰結でもある。その究極の行き着いた先がアウシュヴィッツでありヒロシマなのだ。

映画「この世界の片隅に」を「新たな形の歴史修正主義の表れ」などと言う妄言の類を発して恥じること無い「良心的」な「平和主義者」たちの一部を見て、反戦・護憲派のリテラシーがここまで劣化したのかとけして思いたくはないのだが、このような発言はもはや「利敵行為」でしかないと個人的には強く思わざるを得ない。