ドラえもん生誕百年前記念と、作者の命日が続いたこの9月の最後の週に、『藤子・F・不二雄大全集』(小学館)も第三期完結となる最後の一冊、百巻目が刊行され、今月はさながら藤子・F月間とでも言えそうな季節だった。
その記念すべき百冊目が『UTOPIA 最後の世界大戦/天使の玉ちゃん』のカップリングとは何とも粋な趣向である。かたや「足塚不二雄」名義による初単行本、そして正真正銘のデビュー作。この一大シリーズのゴールは、作家のスタート地点となった。
『UTOPIA~』については、その初版本の凄まじい稀少価値や、この一作で消えたペンネームの由来などは散々語られ今や周知の事実だから、今さらここでは語らない。
絵柄は(同世代の多くの作家同様)敬愛する手塚治虫のそれに酷似しているし、ストーリー展開が急ぎすぎの感は否めない(ラストのあまりな呆気なさ)。本編は百ページほどだが、本来なら倍くらいの分量で描いたらちょうど良かったんじゃないかと思うほどに、内容は密でそれを語る尺が足らないというのは、今になってこちらが言わずとも描いたご本人がいちばん分かっていたことだろう。
とはいえ、この作品、1953(昭和28)年の刊行で当時の作者お二人はまだ十九歳という若さ。
そのわずか八年前までは、日本は実際に「最後の」ひとつ前の「世界大戦」に参加していたのだ。
作中、核兵器に相当する最終兵器「氷素爆弾」が登場する。「第五福竜丸事件」の発生と、そのインパクトを受けた映画 「ゴジラ」の公開はこの翌年のこと。さらに、この頃は海の向こうの半島ではまだ朝鮮戦争が続いていたはずだ。
世界大戦、そして最終兵器という概念が抜き差しならない現実として感じられていただろう最中に、まだ二十歳にもならぬ青年たちがマンガという形でその巨大な現実と向き合っていた。その意気込みの前では「若書き」という事実も畢竟マイナスではない。
そのことをいちばん理解していたのは、やはり手塚治虫氏だろう。でなければ、この無名のコンビの才能に心底から脅威を覚え、デビューを後押しするはずがない。
「天使の玉ちゃん」も、藤子ファンの間では長らく名のみ知られた幻の作品。
今でも流通しているてんコミ版「ドラえもん」の奥付ページ、作者紹介欄には必ず「昭和27年「天使の玉ちゃん」(毎日小学生新聞連載)でデビュー」と書いてある。往年の読者なら間違いなくこのデビュー作のタイトルを覚えているはずだ、その現物を知ることがかなわないまま。
因みに毎日小学生新聞は、手塚治虫氏がやはりデビュー作である四コママンガ「マアチャンの日記帳」を掲載していた新聞。
羽根を失ってしまい地上に落ちてきた天使が人間の男の子と友人になる、というほのぼの系ストーリーは後の「オバケのQ太郎」「ドラえもん」にも繋がる設定。
太陽に近づいたせいで下界に落ちてしまうという、ギリシャ神話をベースにしたくだりにはすでに後年の作風の萌芽が見える。
(玉ちゃんの友人になる男の子が「ぼくのおとうさんセンソウでしんだんだ--天国であったらよろしくいってね」と頼む場面が、何とも切ない)
……………
自分にもう少し読解力と表現力があれば、この二作品の映画的表現の革新性などを詳しく語れるのだろうが。それはもう少しじっくり読み込んでみて可能だったら、またの機会に。
「藤子・F・不二雄大全集」、なんと来年から第四期の刊行も始まる。主要作はあらかた放出してしまっただろうに、編集部の今回のプロジェクトに対する本気度がひしひし伝わってくる報せだ。
ずいぶん前のことだが、小学館は「武満徹全集」も出している。CDで50枚を超えるそのシリーズの内容見本だけは後に入手しているのだけど、それもまた「そこまでやるか」という凄まじい探求心が窺えて、感動した記憶がある。
どこまでも突っ走って欲しい。

