~架空廃園の書斎から~-CA3G080200010001.jpg

アサヒグラフ編『わが家の夕めし』(朝日文庫)より、荒畑寒村の回(昭和54年1月19日号掲載)。

寒村は1887(明治20)年生まれなので、この頃すでに90歳を過ぎていたことになる。

この日のメニューは湯豆腐をメインにして牛肉の照り焼き、野菜の田舎煮、シジミ汁。この年齢にしてはけっこうしっかりした献立?

インタビュー記事の表題はずばり「旨かった監獄料理」(爆)。

「明治から大正、昭和にかけて、未決、既決合わせて六年ほど監獄に入りましたが、そこの“監獄料理"--まあ料理なんてものじゃないですが、これが一番旨かったですよ」
「東京や千葉の監獄では「控訴院」とか「楽隊」とか呼んでいたのがありました。「控訴院」というのは、魚のニシンのことなんです。ニシンの音が「二審」に通ずるところからこういったのです。「楽隊」はブタ肉とジャガイモの煮つけ。なんで「楽隊」かというと「ジャガブタ、ジャガブタ」という「しゃれ」なんですね。京都監獄ではその上はないというのでサツマ芋の水煮が「典獄」。これが一番上等なくらいだから、ここのメシは悪かった」…


そんなメシでも「一日十何時間も重労働しているんだから、こんな旨いものはない」そうだ。
「結局、人間の置かれた境遇によって旨いまずいは決まるんですよ」と、唯物論者らしく結論づけている。

にしても堺利彦といい寒村といい、この人たちの言語感覚はどうなってるのかと思う。おそらくは、権力を笑う一歩手前で、己の苦境を笑い飛ばせる精神の逞しさこそが彼らを生き延びさせてきたのだろう。
この記事もすでに、歴史的証言の域に達しているように感じるのだが。


この記事掲載から二年後、1981年3月6日、荒畑寒村没。満年齢なら93歳だった。