「みえるものは、誰もが知っている、どこともおなじ草、おなじ電柱。しかし、それでもやはり、それらのものすべての総和には、この風景をこの光景たらしめている、おもいもよらない何かがある。重い石、あるいは、どこかわからない方向に曲がっている木。あるいは、色彩の組みあわせ。それらのうちに「おもいもよらない何か」をとらえることができなくてはいけないのだ」(長田弘)
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堺利彦は、「棄石埋草」という言葉を好んで口にしていたという。
そのことに触れた後、『パンとペン』の著者、黒岩比佐子さんはこう続ける。
「堺利彦の事蹟は脚光を浴びることもなく、讃えられることもなく、人々の記憶から消えて、文字通り「棄石埋草」となった。それは堺が自ら望んだ生きかただった」…
棄石埋草--この言葉に触れた瞬間、思い浮かべたのが、冒頭に挙げた一文。それは、記録映画作家、ヨリス・イヴェンスについて語った言葉である。
ひとりの男と、その同志たちが人民とより良き社会のために自らを犠牲として打ち捨ててから、現在に至るまでの長い時間。
その間に、我々の前に、忘れられたままに生い茂り、転がっている草、石。それらが織りなす光景--そこに隠されている「おもいもよらない何か」を捉えかえす試みとして、『パンとペン』は、この2010年に私たちのもとに届けられたのだ--21世紀の私たちが『共産党宣言』『資本論』や『ピグマリオン』『野性の呼び声』を読むことができる、そんな「ありふれた」光景が、どうやって出来あがってきたのかについて。
繰り返し、言おう。
これこそが「本物の仕事」というものだ、と。
まかり間違ってこんな拙いブログで本書について知ってしまった方には、とにかく「読め!」とだけ念を押しておく。
「楽天囚人」ならぬ「楽天患者」として、転移している膵臓がんと今も闘い続けている黒岩比佐子さんの恢復を、心より祈る。
