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「國文學 解釈と鑑賞」6月臨時増刊号「戦後作家の履歴」(至文堂、1973年)
百円で購入。表紙に思い切り値段シール(笑)
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しつこいが、この年は自分の生まれた年。戦後作家約250人の大まかな履歴の載っている人名事典。36年の歳月を経て、この時代の「戦後作家」の、ある程度スタンダードな評価としてのラインナップが今どきとどこまで重なり、ズレているか観測。
現役も物故者も純文学も大衆文学もごたまぜに。かなり大らかに広く当時の「現代作家」を拾い上げていて、(五十音順で)池波正太郎の次に石井桃子が、「こ」欄には後藤名生、小松左京、五味川純平が並んでいる。
純文学から出発して官能小説のパイオニアになった宇野鴻一郎、泉大八、川上宗薫も載っている。星新一、筒井康隆といった「中学生男子の一度は読む作家」たちや、後にタレント化する藤本義一も。ちなみにこれで、そのトンデモ史観で一部にファンの多い八切止夫の顔を初めて知った(笑)

当時の評価を現在と比べてみるのも興味深い。今なら大西巨人『神聖喜劇』を「文体の観念性が、どうしても作品のリアリティを薄めている」と評する者は皆無だろう。
佐木隆三は「職場文学でも一歩遅れていた作者は、風俗文学の場でも、泉(大八)に一歩遅れている」この遅れを取り戻そうと焦って傍聴文学(笑)の先駆者になったと言えるか。寺山修司に至っては「いかがわしい行為者、うさんくさい文学者として作者をしりぞける、その良識そのものに対する反逆が寺山修司の身上であってみれば…ここでは評価不能とするのが、最もふさわしいかもしれない」蚊帳の外だよ、ひでえなあ、鈴木晴夫(項目執筆者)さん。
エピソード紹介も。枚数が多すぎて徹底して低コストで作られた小田実の『何でも見てやろう』は「社はじまって以来の悪装幀と妙な折り紙をつけられた」、「置手紙を書いて、北大を夜逃げ」して専業作家になった武田泰淳、当時強かったプロ野球チームにたとえて「難解(南海)ホークス」と呼ばれた埴谷雄高…挙げていくともう字数が無くなってきた。
最後に森茉莉の受けた心理テストの結果は「物事におびえ易く、その様は幼児的ですらある」(爆)