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レフ・シーロフ著、児島宏子訳、群像社、2005年
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「アナスタシア」川村かおりが生まれ育ったモスクワとは、どんな街なのだろう。単に地図や名所を知るなら『地球の歩き方』でも見れば済むのだけど、ここはひとつ、この街から生まれ今もこの街に息づいている「文学」というレンズを通して、なまのモスクワを追体験してみようか。
著者シーロフ(1932‐2004)はテレビ・ディレクター出身。同時代の詩人たちの音声記録を収集し、文学館の創設・維持に尽くした人で、作家との交流も深かった。
ページをめくる毎に、読者はこの随一の「作家通」のガイドに従い、土地の者のみぞ知る味わい深い場所を巡ることになる。マンデリシュタームとアフマートワが沈鬱な会話を交わしたクロポトキン地下鉄駅入口、『戦争と平和』に描かれたとされる「調理室通り」「パン横町」「テーブルクロス横町」(本当にこの名前!)…プーシキン広場についてもこの案内人は
「ロシア人で、学生時代、または成人してからデートの場所としてプーシキン像を指定しなかった人は一人としていないのではないだろうか」
東京人にとってのハチ公前に等しい待ち合わせ場所であることを教えてくれる。

『巨匠とマルガリータ』の作者ブルガーコフの住んだアパートの壁面には、今も作家と彼の産み出したキャラへの熱烈なメッセージが落書きされている。モスクワ人にとって作家たちは時を経ても、血の通った親しみ・敬愛の対象・隣人に他ならないのだ。

パステルナークとチュコフスキィの別荘のある作家村ペレヂェルキノへのしばしの遠出の後、我々はふたたびモスクワ中心部、アルバート通りに戻ってくる。

1920年代から現在まで残る唯一の建物は外貨専用の特権階級向けの食料品店。もしかしたら、小学校時代「モスクワ探検クラブ」所属だった川村「カオリーシカ」もこんな店でコーラや7upを買っていたのかも。

シーロフがこの本で最も懐かしく語る作家にして反体制フォーク歌手、ブラート・オクジャワはこのアルバート通りを何度も歌にしている。パリで客死した彼の葬列はこの通りを埋め尽くし、葬儀の行われた劇場の舞台は花で覆い尽くされた。
「私たちはブラートのみならず、自分たちの夢、希望、魅力と別れるのだ。それは、自分の時代との別れ」
街の記憶-それはことば。