本日、仕事から帰って来て、夕飯食いながら夕刊を読んでいたら(行儀悪いね)こんな訃報を目にして、飯を吹き出しそうな程に驚いた。

小林多喜二の元恋人 田口タキさん死去
プロレタリア文学作家・小林多喜二(1903~33)が愛し続けた女性として知られる田口タキさんが6月19日、横浜市の自宅で亡くなっていたことが分かった。多喜二ゆかりの北海道小樽市立小樽文学館にタキさんの親族から連絡があった。102歳で、老衰とみられる。
……多喜二はタキさんに何通も手紙を書いており「闇があるから光がある」という一節は有名だ。タキさんは多喜二に結婚を申し込まれたが、愛しながらも身をひいたとされ、戦後に別の男性と結婚した。

生きてらしたのか、今年まで…この人は、家族のために自分の体を売ってた人だったんだよな…そんな彼女を多喜二は真剣に愛して最終的に見請けして救出したんだけど…

北海道拓殖銀行に勤め出した多喜二は「一軒の「そば屋」で、田口タキという、美人で評判の十六歳の「酌婦」と運命的な出会いをする。彼女は貧窮のどん底にあった家族十人の生活を支えるために十三歳のときに父親から室蘭の銘酒屋に売られ…二、三円という「半襟一本」の値段で男の相手をするようになっていた。その慎み深さと現在の生活から逃れたいという必死の願いに心をとらえられた多喜二は…何とかして彼女を救い出して自由の身にしたいと思うようになる」
なんとか金を工面して多喜二はタキさんを救うのだけど、
「けれどもタキは、無教養な自分が多喜二の足手まといになっているのではないかと思って落ち着かない。やがて家出し、呼び戻されて、しばらく小樽にいたが、ふたたび姿をくらます。上京後、多喜二は…結婚を申し込むが、彼女は応じなかった」(注)

この後、多喜二は本格的にプロレタリア文学運動に身を投じていく。喪われた愛を胸に畳みこみ、もはや彼に失うものは何も無かった…と考えるのはロマンチックな夢想に過ぎるだろうか。

多喜二虐殺からの70年余りを、タキさんはどのような心持ちで生きてこられたのだろう。
御冥福をお祈りします。

(注)曾根博義「自己と他者を見つめる眼」小林多喜二『老いた体操教師・瀧子其他 小林多喜二初期作品集』(講談社文芸文庫)所収より

(もしかしたら、阿部定さんもどこかで生きてるんじゃないかと思ってしまった)