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『中井英夫全集[7]香りの時間』(東京創元社・創元ライブラリ)、『完全保存版・藤子・F・不二雄の世界』(小学館)
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小説の書けなくなった中井英夫の後半生の仕事は、様々な題材のエッセイが中心になる。多分に回顧調の語りで小説、映画、音楽、絵画、宝石、薔薇、自身の日常など多彩な題材に渡るが、どれも「読ませる」。たとえ糧のためとは言え、その文体には全く妥協が無い。分厚い文庫サイズの全集を気の向くまま開き、どこから読んでも読書の愉悦を味わえる。

そんなエッセイのひとつにふと、目が止まった。題は「色んな番組 色んな夕焼け」。テレビ番組を取り上げた連載エッセイのひとつだが、その中に「ドラえもん」が登場する。

1983年、中井は最愛の友にして恋人の田中貞夫をがんで喪う。その田中の入院生活を回想するくだり。

「これも古い友人の田中貞夫--寺山[修司]の最初の本「われに五月を」を出したもと作品社社主の二人を、せめて五月五日の菖蒲湯に入れたかったという弔辞を読んだが、彼がガンになってからもっとも好んで見ていたのは「ドラえもん」だった。ベッドの半分をいつもあけて、ここはドラえもんの席だといっていたのは、せめてもの超能力で何とかして欲しかったからであろう」…

テレビ朝日系列でアニメ版ドラえもんが始まったのが1979年4月。当初は月~土曜の夕方6時50分からの10分番組。幼稚園から小学校に進んだ自分(ひでを)も毎日楽しみに見ていた。やがて現在の金曜夜の30分枠になるが、これも引き続き見続けた。Wikipediaによると1983年には既にドラは金曜枠になっていたという。田中が病院のベッドで見ていたのも、この30分二話枠の方だったろう。

人生の何たるかなど知らなかったガキと、間もなくこの世界から去ることになる初老の男と、彼を愛した作家が同じ時間に同じ番組を見ていた-そんなことはただの偶然でしかない。それでも、このエピソードに「虚実の間(あわい)を生きた作家」中井英夫の「実」の部分-我々が互いを見知らぬまま、共に同じ世界に/を生きていたという事実の跡をリアルに感じ取れるような不思議な気分になってしまうのだ。