「そんなに本を買って、全部読んでるんですか?」
古本を買うのが趣味、と話すとたいていこう尋ねられます。それに対する答えは決まってます。
「読めるわけないですよ。買ったそばから積みっぱなしです(笑)」
みなさん(・◇・)?って顔になりますね、やはり。
自分の場合、もちろん読みたくて買うわけです。しかし、読みたい「だけ」の本はそれこそたくさんある。まだ入手できてないのもそれこそ山のように。
しかし読むのには時間と集中力を一定要します。人生の時間は限られている。好奇心優先で買い出して、気がつけば「多分死ぬまでの残り時間、全てを読書に費やしても完読は無理だな~」ってぐらいの量の積ん読本が部屋中に…

やはり、馬鹿馬鹿しいですかね(汗)
自分は現物が無いと安心できないんですね。まがりなりにも自分の本だから期日が来たら返却しなきゃなんて心配も無用。それに、たとえ積ん読にしてても、ある日突然、手に取って一気に読んでしまう可能性もなくはない。だからこそ、読みたい本は手元に置いておくべき…
なんてことをもっともらしく無名な自分が言っても説得力ゼロ以下なので、誰もが認める「本読みの達人」のお言葉を引用したいと思います。

「もう買った時点でいいんですよ。オレがこの本に興味があるってことがわかったんですから。わかる事が大事なんで…気になったけど今は手元にないというときはタイミング逃しちゃうんですよ。だから、ちょっとでも気がついたときは買っておくんですよ。種まいとくの」
「背表紙だけ、ていねいに見て、買った段階でオッケー。買ってすぐには読まない。しばらく本棚に入っていて、ある日突然、扉がばーんと開くんです」(みうらじゅん)(注1)

「読み方によって生き生きとしてくるのも、つまらなくなるのも読書だ。読みとおすのでなく、読みさす。読み切るのでなく、読み余す。読みぬくのでなく、読み継ぐ。読み解くのでなく、読みとどめる。そうして、開いたまま本を伏せて、あるいは閉じて積んで、自分の日々の時間のかたわらに置く。
そういう本のあり方、読み方をおのずからもとめる本があり、本というもっとも古い人間の文化のありようをもっともよく伝えてきたのは、そうしたけっして読み飛ばさせないような本の記憶だったと思う。」(長田弘)(注2)

注1-ヒヨコ舎編 『本棚』(アスペクト、2008)
注2-「悦ばしい読書 自分の時間で読み継ぐ」(朝日新聞10月22日夕刊)
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