「宿題はちゃんとやってる?字はていねいに書くんだよ」

子「左手で押さえられないから、きれいに書けないし…」

「きれいに書けなくてもいいよ。ていねいに、の気持ちが大事。字はくうらんがないくらい、たくさん書くんだよ、これもアピールだから」

とやる気が大事、と伝えたことのある皆さんこんにちは、入院6日目月曜日の昼を迎えんとするとこトン、です。





昔、いちど読んだきりで。


あらためて、1刊ではまだ物語は始まらないのですね。

主に明治5年前後の西郷(敬称略)の様子が主に川路利良(日本の警察の創設者)の視点や作者の余談から語られる。


いったいどんな方だったのだろう?何を考えておられたのか。読み進めるうちに気になってくる。


西南戦争の末期、西郷が軍を解散し、他郷出身者に帰郷をすすめたが、豊前中津からきた増田宋太郎だけは帰ろうとしない。


他の隊員が「われわれは生死をともにするということで出てきたのに、君だけが残るというのは」となじると

「君たちは隊員であったから、西郷という人を知らない。自分はたまたま隊長役を引き受けたために西郷という人に接することができた。あの人に接してしまえばもはやどうにもならない」

と(p310)。


きっととても魅力的な人だったのだろう。その気持ち、少し分かるような気がします。


こんな話も紹介されている(p311)。


薩摩の若い連中

「あの人にはとちも叶(かな)いもさんという人が先生にもごわすか?」

「ごわンさ」

「司馬温公にはとても叶いもさん」

「温公の腹の中には、他人に隠さねばならぬことは1つもなかったといい申(も)す。ところが自分を思えばまだまだ他人に話せぬことが多か。」


と。

またこんな話も(p298)。

西郷は、五体も目鼻立ちも、けたはずれに大きかった。ただ西郷はこの巨躯(きょく)でもって人に威圧をあたえようとしたことがなく、むしろ逆にこの巨躯を恥じ入り、実に無駄の多い人間だということを心から思っていた。

~中略~

『自分はかような者で』

と、自分のために大汗をかいて言い訳をした。自分は体が大きいために着物を作っても一反では足り申さず、食べ物もたくさん食べ過ぎ申す、これが牛や馬なら好(よ)か牛馬でごわすが、と言った 」


と。

謙虚で遠慮がちな方、だったのかな。


また、作者は次のようにも、書く(P194)。


かれは一方では自分のつくった明治政府を愛さざるを得ない立場にあり、一方では没落士族への際限ない同情に身をもだえさせなければならない。

  矛盾であった。」と。


川路の思案もなかなかまとまらない。(p340)


「こまった老爺(ろうや)だ」と。


「あれは洪(おお)いなる鐘のような男だ。小さく撞(つ)けば小さく鳴り、大きく撞けば大きく鳴る」とは坂元竜馬の感想。


が、川路は急ぎで分析をまとめねばならない。


『桜島のようなひとだ』。


桜島は晴れた空を背景とするときは威容そのものである。ちまちまとした人間の営みで明け暮れている鹿児島旧城下をその魁偉(かいい)でもって圧倒しつつ、しかしながらそのすそに群青(ぐんじょう)のかがやきをもつ水帯をめぐらしているために、威圧に無限のやさしさがこもっている。

~中略~

それにひきかえ、曇天や雨天の日の桜島ほどつまらないものはなく、ただのでくのぼうが無用に空間を占めているだけである。 」


そうか、桜島かぁ。なるほどなぁ。

また、見る地点によってもその様子はだいぶ違う。誰か、加治木から見える桜島がやさしそうで好きだ、と言っていたっけ。



(2023,3,29撮影)


よし、退院したら、桜島をよく見よう。

写真も撮ろう。

また、桜島だけでなく、うつりゆく自然のさまにも目を向けよう。

また、本の冒頭で話題が出た、吉野の大崎ノ鼻(寺山公園展望台)、という草原にも行ってみよう。

せっかく鹿児島に住んでいるのだから。





彼なりに、がんばってくれているようです。