「半袖のシャツも持ってきてくれる?」

かみさん「ランニングさくらじまのだったらあるよ」

「それだと汗かくんだよなあ、綿のはない?」

かみさん「入院してるんだから汗かかないでしょ?」


ただゆっくりしてるだけでも、身体は呼吸しエネルギーを発し、お腹は減る。何をしているんだろうなあ、となどと無力を感じたことのある皆さんこんにちは。食べっぷりだけは一人前のとこトン、です。




今日の夕食❗
なかなかに美味しかった。もう1膳追加したいところだが、必要なエネルギーは十分入っているよ、ということだろう。

病院の強制力により、私の身体はより良く健康的になるだろう。普段は食べ過ぎなのだ。

昨年末の健康診断で、脂質異常、と警報が出た。これはまずい!健康に支障が出たら、4月から1人現場作業となりたいのに、不安材料となる。また、事業体に断られるかも。

そう思い、ビールは止め(たまには飲む😅)、コレステロールを控え(ドレッシングも和風に変えたし)、野菜たっぷり(近所の百円市で新鮮な)、そのような生活スタイルに切り替え3ヶ月。でも、なかなか脂質は落ちない現状だったからだ(^_^;)。

入院による、安静生活のおかげで、血圧も下がってきて、朝は高めだったが昼は68~116、だったんですよう。幻かもですが。脂質も変化、気になるので、タイミングみて質問してみよう。採血はしてくれているので。

健康体になる分岐点、になればいいな😊。

さてさて、ただ安静に、と言ってもヒマなので、読書にエネルギーを投入することにしました。

歴史上の分岐点、と言えば、すぐ思い浮かぶのはやはりこの本でしょう❗



本文より

「家康はあす、この小山でひらかれる諸侯会議こそ徳川家盛衰のわかれみちであるとみていた。
~中略~
ある意味では、福島正則の向背こそ、歴史を変える分岐点であるかもしれない。」

どこにポイントがあるか見定め、そこに向けて努力を積み重ねる凄み、がある。

三成を勝たせてあげたかったなあ、と思うけど、この凄みの前では幼くうつってしまう。

ひるがえって、自分の分岐点はどこだったか。あるいはまだ先?

今考えるに、まずはこの3月を分岐点ととらえたい。脱サラした10年前ではなく、それから10年林業を経験して、迎えた3月。
お世話になった方々との別れ、引っ越し、新たな地域での願った形での就業。

1週間と少しでの離脱はかなり悔しく、また恥ずかしくもあり残念。
だが、まだ始まったばかりだから。

話は再び、関ヶ原の本。
関ヶ原の戦いは実に1日で決したが、軍事上の衝突は2ヶ月ほど前の7月19日の夕刻に起きている。
数万もの西軍が最初に押し寄せた、伏見城での戦いだ。攻める側には、宇喜田秀家・毛利秀元・吉川広家・長曽我部盛親・島津義弘ほか諸将。
大軍だが、本気で家康と戦う計算は立っておらず、士気は低い。だから10日間たっても落とせない。

離れた佐和山城にいた三成、怒る。
翌日の夕方に伏見に駆けつけ、諸将を集める。でも感情的になったらますます嫌われ、良くないので三成はこのように。

「城将  鳥居彦右衛門は60を越えた老人である。場内の士は2000人に満たぬ。それを四万の兵力で囲んで落ちぬとあらば、おのおののご武辺を後世はどうおもうでありましょう」


決まりましたなあ、三成殿❗