「ルール」の巻
例えば、ニワトリの鳴き声。
日本で言うと
「コケコッコー」
米国で言うと
「クックドゥドゥルドゥ」
これは一般的に小さい頃から教えて、伝えられてきたニワトリの鳴き声。
ども、阿部氏です。
クックドゥドゥルドゥには全然馴染みがないし、馴染めない。
「これはこう!」
「あれはこう!」
となってしまっていることが周りで多々ある。
「決めつけるな!痛みに負けルナ!」
と僕自身も思うことがあるし、女の子は辛い習慣の週間があると思ってる(決めつけ)。
これはこう!
てのがないと、何も成立しないことも多々ある。
それが言語だったりする。
英語で自分の事を言うのは「I」しかないらしいけど(全然詳しくない)、
日本語は僕、私、自分、ワイ、我輩、などいろんな呼び方がある。
決められた中で、自由に。
差別するわけではなく、区別するなら
おおざっぱっぽい外国人はきっと
「HEY!自分の事を言う時はアイにしよーぜ!アルファベット一文字だし、これひとつに統一すれば分かりやすいしね!」
と決めただろうし、
繊細な日本人はきっと
「僕、っていいですよねぇ。私もいいと思う。いや~我輩は…って自分らなんやねん?ワイは関西や!豪快にいくでぇ!ウチもや~!!」
と様々な背景が見えてくる(ように書いてしまった)。
これはこう!の中でも変えていけることは多々ある。
スタジオで山Dとの会話。
山「俺、今日誕生日。」
阿「あっ、そうだね。今日て7日?」
山「6日」
阿「だよね?誕生日て6日だっけ?」
山「6日」
これを受けて
[明日に活かせる今日の一言]
気を使わせてしまった気がした僕が悪いです!!
おめでとうも言ってねーや。
日本で言うと
「コケコッコー」
米国で言うと
「クックドゥドゥルドゥ」
これは一般的に小さい頃から教えて、伝えられてきたニワトリの鳴き声。
ども、阿部氏です。
クックドゥドゥルドゥには全然馴染みがないし、馴染めない。
「これはこう!」
「あれはこう!」
となってしまっていることが周りで多々ある。
「決めつけるな!痛みに負けルナ!」
と僕自身も思うことがあるし、女の子は辛い習慣の週間があると思ってる(決めつけ)。
これはこう!
てのがないと、何も成立しないことも多々ある。
それが言語だったりする。
英語で自分の事を言うのは「I」しかないらしいけど(全然詳しくない)、
日本語は僕、私、自分、ワイ、我輩、などいろんな呼び方がある。
決められた中で、自由に。
差別するわけではなく、区別するなら
おおざっぱっぽい外国人はきっと
「HEY!自分の事を言う時はアイにしよーぜ!アルファベット一文字だし、これひとつに統一すれば分かりやすいしね!」
と決めただろうし、
繊細な日本人はきっと
「僕、っていいですよねぇ。私もいいと思う。いや~我輩は…って自分らなんやねん?ワイは関西や!豪快にいくでぇ!ウチもや~!!」
と様々な背景が見えてくる(ように書いてしまった)。
これはこう!の中でも変えていけることは多々ある。
スタジオで山Dとの会話。
山「俺、今日誕生日。」
阿「あっ、そうだね。今日て7日?」
山「6日」
阿「だよね?誕生日て6日だっけ?」
山「6日」
これを受けて
[明日に活かせる今日の一言]
気を使わせてしまった気がした僕が悪いです!!
おめでとうも言ってねーや。