ニュースをみていて、どうしても引っかかるもの
乳児遺棄
現代の女性の大きな壁と、社会との隔たりを感じます
乳児遺棄 これはどのようにしても許される事ではありません
では倫理的に考えた時に人工妊娠中絶何が違うのか
予期せぬ、望まぬ妊娠
これは生きている中でぶつかる可能性ってだれにでもあると思う
妊娠期間により、法律のなす定義が違うだけな気がします
男性がいてこその妊娠ではあるけれど、妊娠出産においては女性の孤独な問題になりがちだし、しがちだと思う
遺棄をしてしまったこの女性もこれから社会に出るという側面の中で妊娠を肯定する事は困難だっただろうし、よく1人でトイレで出産をし、その後何事もなく過ごして来れたなと思う
皮肉もあるが、母体としての身体の変化を1人で飲み込んできたこの2年
決して生半可な事ではなかったはずだ
女と男
そしてジェンダーとしての生命がある
その身体の仕組みとして、命を育み産むのは女の働きだ
だけれど、命の価値生きる意味を定義した場合には女性差別の問題にもなる
それは産める産めない、産む産まないの選択に加え
社会に属する一員として個の存在定義にあるように思う
女性にも男女雇用均等法等により、男性と同じように働く権利を得た
だがしかし、男女は決して同じではない
身体の仕組み、存在としてそもそも違う
産む産まないの選択の権利はあっていい
ただ産みたい育みたいと願える社会にしていかなければこの世は本当に崩壊してしまう
生命の無い世の中の存続は有り得ない
ただ生命の長らえを望むのではなく、サイクルがある事に目を向けなければもう終わってしまう
人間の奢りこそがこの問題の大きな起源だと思う
妊娠、出産の奇跡を超え、今ここに私達の生命は存在する
あたかも作り物のようにして考える現代
人工授精、体外受精、精子提供…
生命のはじまりは偶然であり、奇跡であり、あくまでも精子と卵子の意思により存在する
人間の采配にしてはならない
あくまでも自然の中にしかなせない術だと言うことを忘れてはならないと思う
皆の意識が命の喜びに向かう世の中にむかいますように
逆説でのセックスの在り方もまた考えていきたい事ですね