先日、見ていたドラマ「芋たこなんきん」から派生して読んだ本がこの2作品である。
『おかあさん疲れたよ』
ドラマの中で藤山直美さん演じる小説家のヒロイン(モデル田辺聖子さん)が新作の長編小説のストーリーを語る場面があった。このドラマの中に登場する作品には実際にモデルとなった小説が必ずある。そのストーリーを聞きながら、これは読んだ記憶がないな、と思って探してみたのがこの作品である。
読んでみたら、ドラマの中ではサラッと扱われていたが「これは渾身の作品じゃないか」と思うほどの盛りだくさんな濃い内容の作品だった。
主人公たちは中高年の夫婦である。夫は終戦時15歳、妻は2歳という設定。
それぞれの人生が描かれる。夫の人生は戦時下の少年だった頃から描かれている。
空襲のさなか、燃え盛る家々や焼け焦げの遺体の中を偶然に一緒に逃げ惑うことになった、軍需工場に駆り出されていた中学生の男子たちのあこがれのマドンナが夫の恋の相手である。
二人は戦後いくたびか再会し恋に落ち、楽しい時、素敵な思い出を共有する。
この二人の恋のゆくたてやデートの描写は私に、若い頃に夢中になって読んだいくつかの小説を彷彿させた。
が、最後のあと一歩のところで、どうしても結婚にはいきつかない。
それは彼女の心持ちに原因があった。
家を背負っていたからである。終戦後、適齢期を迎えた女性たちは相手となるべき男性の多くが戦死していて、生涯独身で生きざるを得なかった人たちも多かったという。そして、そういう女性たちはいなくなった男性の代わりに一家の大黒柱となっていたというのだ。
そういえば、母のいとこにあたる方にもそんな人がいた、と思い出した。
戦時中の部分は結構、多くのページが割かれている。
空襲のなか逃げ惑う様子や、空襲直後、家まで歩いて帰る様子は臨場感に満ちている。
以前に読んだ「楽天少女通ります」という作品の中で書かれていた田辺聖子さんの実体験が盛り込まれている。
幾たびも失恋をすることになった男性はどこか無常観を抱えながら、戦後の社会を猛烈に仕事をして生きていき、中年に近い年になって、全く違う世界観を持つような一風変わった若い女性に出会い結婚する。
それが現在の妻である。
妻は「夫には良くわからないところがある」と感じている。
そして妻の話。
彼女は夢の様なファンタジーの様な恋の物語ばかりを書く、そこそこ有名な小説家である。
とあるパーティで、ある年若い青年と出会い、恋に発展していく。
着ているドレスや華やかなパーティの描写、講演先の北海道美瑛の美しい景観、はたまた大阪と東京で二重生活をする謎の知人女性など、昔、私が好んで読んだジャンルの世界だわ、と思って読んでいったが一味違う世界に入っていった。
相手の青年の職業が、お寺さんや神社の仏具、お祭りの道具、ご宝物やなんかの修理、修復、復元をするという仕事である。
この職業から想像できると思うが二人の恋の舞台は京都である。
そしていくつかの実在のお寺や神社が登場し、お話は王朝物語、古典の世界に入っていく。
この古典文学も田辺聖子さんのお得意とする世界だ。
日本の中世の王朝の物語が引用され、現代の二人にオーバーラップしていく。
読んでいて、京都に行ってみたくなった。
頭に浮かぶのはJR東海のTVCM、「そうだ 京都行こう」のフレーズと美しい紅葉の景色だ。
でも、もうこの作品の中でも京都の街は「穴ぼこだらけになっている」なんて言う表現もあり、激しいインバウンドにさらされたであろう京都の街は、もう私が思い描く京都とは違うかも…と白けた想像をしてしまう。
タイトルの『おかあさん 疲れたよ』は夫の相手、同時代を生き抜いた恋の相手でもあり、戦友と言ってもいい様な女性が亡くなる時に言った言葉である。
この世代の女性の人生を思う時、安易な言葉を書くのを憚ってしまう様な深い思いに引き込まれてしまう。
でも別な言い方をすれば「ああ、面白かった」になるのではないか、と思うことにした。
あとがきに田辺聖子さんは「私の昭和を書きたかった」と書いている。
深く納得する。
この作品が発表されたのは平成4年である。
昭和という時代が終わったとき、もし私が物書きであり、そしてあの戦争を体験したのであれば、書いておかなければ、と考えただろうと思う。
わたしは発表された時に何故か読んでいなかった。
しかも読売新聞に連載されていたとどこかで読んだ。
今は毎日楽しみに読んでいる新聞小説である。
たしかに平成4年であればまだまだ人生いそがしく、余裕なく、わき目も降らず生きていたのだろう。
今、読むことになって良かったと思う。
そんな、あわただしく生きていた時には今ひとつこの小説の世界を理解できなかったかもしれない。
ボンクラながら年を重ねてきたからこそ、わかるということはあるのだと思っている。
あの頃は、多分、「戦争のハナシは、もう、いい」みたいな気分もあったと思う。
しかし、今、戦争はかなり身近だ。
戦争体験者の話は、前よりずっと身に迫ってくる気がしている。
『残花亭日暦』
田辺聖子さんの夫、「カモカのおっちゃん」の最晩年の日々の田辺さんの日記。
ドラマ「芋たこなんきん」の最後の方の部分に採用されている。
”はじめに”のところで古典の『蜻蛉日記』を例にだしながら
日記というものは、何故か(愉しかりし年月)のことは書かず(面白からざる年月)(憂憤晴れやらぬ日々)(志を得ずして怏々失意の累日)について熱意を込めて書くようである。
そして、良かったことの方はメモ風に簡単で2・3行で素っ気なく片付けている、と。
女の日記にはその傾向がないでもないと続く。
あるある、と思わず笑ってしまった。
田辺さんの日記は仕事メモ兼・業務連絡帳風と「よいことばかり あるように日記」というのがあるが、今回はそれら風でなく書いてみようと思う、とあった
もう、この時は数年の介護生活がつづいていたようである。
初めの方では「カモカのおっちゃん」はいつも不機嫌そうだったが、素直にデイサービスやショートステイに通っていらした。聞き分けの良い被介護者と言った風。
世の中の被介護者がこういう風であったら介護をする側はずいぶんと楽なんだよなぁ、と私は思った。
様々な講演、テレビ出演、インタビュー、執筆、作品のための取材。
田辺さんは精力的に仕事をこなし、年老いたお母様の自宅介護、ご主人の看護に、と目まぐるしい日々がつづられていく。
この間、ドラマではいしだあゆみさんが演じていられた秘書、ミドさんがずっと寄り添っている。ミドさんはドラマで演じられていたように美しい的確な言葉遣いが印象的だ。
大人の女としてかくありたいとあこがれる。
自分自身は全然ダメ。カジュアルになりすぎているなぁ。
田辺さんは自分を人生の作戦参謀と位置づけあれこれ人生の戦術を考えないといけないと書いている。
そしてご主人が倒れて入院となり最後に向かう日々の中でも約束した仕事は決して断らなかった。
病院で弱りゆく彼と向き合う時間でも、そのつらさ、困難さ、寂しさは伝わってはくるが、さすが物を書く人で冷静に自分を外側から見ているところがあって読み手がうんざりする、という様な事にはならない。
また、ご主人も様々な治療拒否などの問題行動をおこしながらも、本来の頭の良さを失ってはいかない。
グーンと少なくなったであろう二人の会話も楽しい。
印象的な言葉。
ご主人が看護人にふともらした”ぼくはもうあかんワ。えらいお世話になりましたなぁ”という言葉を知って思わず顔がゆがんで涙ぐんでしまう田辺さんに、ご主人が言う。
かわいそに。 ワシはあんたの。味方やで。
田辺さんは涙がひっこんで思わず笑ってしまう。
(なにも五七五でいわなくてもええやないの、パパ!・・・それ、川柳のつもり!?)
これはそのままドラマでも採用されていた。
そして、こうも書いてあった
(かわいそう)と思ってくれる人間を持ってるのが、人間の幸福だって。(愛してる)より、(かわいそう)の方が人間の感情の中で、いちばん巨きく、重く、貴重だ。
この時、田辺さんは今の私の年齢より幾つか上である。
なんというバイタリティーであろうか。
そしてこんな言葉に励まされるのである。
「いささかは苦労しましたといいたいが苦労が聞いたらおこりよるやろ」
現世は皆すべて苦役であろう。…しかし、彼といた時間の”苦役”のなんとたのしかったこと。あんなオモロイ苦役はなかったなぁ。
本当に会話の多いご夫婦だったようである。よっぽどの相性の良さだったんだろうなぁ。
日記は彼が亡くなり、お葬式を済ませ、四十九日、納骨を済ませ、その数日後まで続いて終わる。
”神さん”に(ハイ、そこまで)と言われ(苦役解放)と待ってました!と思えるように、せいぜい苦役を果たしていかなければ、と勇気をもらったような気がする作品だった。