何年か前にTVで見て一度行ってみたーい!、とずっと思っていた「石田組」のコンサート。

夜の公演はダメ、母のディサービスの日の昼の公演で母が帰ってくるまでに間に合うように帰ってこれること、なんて条件に当てはまるコンサートはなかなかめぐってこなかった。

この公演のチケット発売の時も「夜」ということであきらめていた。

しかし母が施設に入り、落ち着いたとき、フト思い出し「チャンスがあったらお知らせアラート」なるものに登録してみた。

いわゆるキャンセル待ちですね。ムリかなぁと思っていたらお知らせがきてチケットを買うことができた。

4階でさらに一番後列の席。舞台正面ではあるものの、ホール全体で舞台から一番遠い席の一つである。

でも贅沢は言いますまい。やっと行けることになったコンサートだ。

 

それなのに当日がくると何だか出かけることが億劫。

コロナ禍になって3年、夜のお出かけはもちろん、電車に乗って出かける昼のお出かけもグンと減っていた私はすっかりお家の人になっていたのだ。

何を言っているのだ、と重い腰を上げて出かけて行った。

駅に着くとすっかり暮れていて、暗い中に街の明かりが美しい。

そうだ、街の夜ってこんな感じだったんだと思いつつ、コンサートホールに向かった。

 

いやぁ行ってよかった。

素晴らしいコンサートだった。

会場の席はほぼ満席である、ほぼ、というのは何しろ自分の席から全体が見渡せてしまうので、ちょうど正面の後部座席が2席空いているのが目についたのである。

しかしキャンセル待ちの時には出てこなかったと思うので当日になってこれなくなったんだろうなと推察する。

 

第一部、ビヴァルディの「四季」

どなたのコンサートだったか忘れたが初めてこの「四季」を聞いたとき私は違和感をもった。それは私が日本の四季をイメージしたからである。当たり前だけどビヴァルディは日本人ではないのである。この四季はイタリアの四季なのだ。

 

「春」はそれでも日本の春のイメージにも重なる。暗く長い冬が終わって暖かい陽光があふれ木々の新芽が一斉に芽吹くような華やかな心が浮き立つようなイメージ。

しかし、あれ?と思ったのは次の「夏」。

ベタで恥ずかしいけど、その時の私の夏のイメージはジャンルは違うけど、チューブの「シーズン・イン・ザ・サン」みたいな感じ。太陽ギラギラ、ハッチャける、みたいな感じだった。

しかし、このビヴァルディの夏はしんねり、ねっとり、で始まるのだ、どこまでも明るくハッチャケけるなんてイメージは全然ない。まぁ、日本でもこの夏の異常な酷暑を経験すると、ウンザリしたので近くなってきたかもしれない。

それから「秋」、これもその時の私のイメージは枯葉が舞い散ったっりして寂しい様な抒情的な感傷的なイメージ。ほんとベタで単純で恥ずかしい。しかしビヴァルディの秋はキラキラした輝かしいような曲想だった。その時のプログラムを見たら「実りの秋」とあったのでなるほどーと納得した。

なんといっても、思いがけなかったのは「冬」である。

すごく厳しい冬なんだ、とは思ったがあの有名なドラマチックな一番印象に残る部分。

あれが氷の上を転ばぬように歩いている、でも結局転んでしまう、そんなことを表現してるとは。すごい緊張感で氷の上を歩いてるんだなぁ。

 

などと、あれこれ考えをめぐらしつつ一部の演奏を楽しんだ。

休憩時間、感染対策のためバーカウンターはやっていない。給水機も使用禁止。ロビーで声を出しての会話もはばかられるから誰も話していない。もちろんマスクはずっと着用。足慣らしのため席を離れて少し歩く。スマホに電源を入れてちょっとニュースなんかチェックしてみる。通路から2番目の席だったので少し早めに席に戻った。

 

第2部

演奏される曲数が多い。きっと一曲、一曲が短いんだろうなぁと考えた。

1曲目から3曲目まではクラシックにさほど詳しくない私には初めて聞く曲ばかり(多分。聞いたことがあったとしても忘れている。)

1曲目ビヴァルディ、2曲目シベリウス、3曲目バルトーク。

4曲目からグッとカジュアルになった。

 

その前に石田組、組長石田康尚氏からご挨拶、および組員紹介がはいる。

多分ここだったと思うけど。うろ覚え。

いかな人気の石田組とあってもコロナ禍でのコンサートではここまで観客が入ったのは久しぶりの出来事だったのだろうと思う。感激されている感じが伝わってきた。

石田康尚氏、組長というその名にふさわしい風貌。強面である。ファッションも独特のこだわりを持っていると思われる。かなりおしゃれ。また演奏の際の動きも独特。

しかし、ひとたび演奏に入ると、そういったビジュアルには裏切られる。

繊細で美しい音色。そして石田組の熱情あふれる迫力の演奏。

わたしのつたない言葉ではとても表現できない。

一度、TVで見ただけでクラシックど素人の私のような人間にコンサートに行ってみたい!と思わせるような演奏だったのだ。

 

グッとカジュアルになった曲たちだけど、聞いたことがあるけど、私がはっきり曲名がわかったのは「バック・トウ・ザ・フューチャー」、「ニュー・シネマ・パラダイス」の2曲。

後はクイーン、オアシス、レインボーとプログラムにある。

どれもカジュアルとは思うけど、もう、50年近く前の曲だったりするわけでクラシックになるのかもしれない。

「バック・トウ・ザ・フューチャー」、新鮮さを感じた。映画をワクワクしながら見たその感じを思い出した。そうだ、当時、この映画自体がそれまでにない新鮮な映画だったのだ。そんなことを思い出した。

「ニュー・シネマ・パラダイス」、なんとも素敵な世界が広がる。二重、三重にグラデーションになった音楽に包まれているような感じ。この曲は私にするとフィギュアスケートによく使われる曲だ。最近で言えば友野一希選手や、アメリカのブレイディテネル選手が使っていた。

フィギュアスケートが見たくなった。

 

そうしてプログラムにある曲の演奏がすべて終わった。

しかし、ここからこのコンサートの熱狂がはじまるのだ。

当然の様にアンコールを求める拍手は鳴りやまない。

やはり感染対策のため会場にアンコール曲が掲示されない。いつもだとボードの前はスマホを手にした人たちでかなり混雑している。だいたい、超有名曲が演奏されるからわかるかなーと思って耳を傾けた。

1曲目、チャップリン、エルビスコステロの「スマイル」、2曲目、えーとえーと知ってる知ってる、なんだっけ?と思ってるうちに歌詞が浮かんできた。クイーンの「ボーン・トゥ・ラブ・ユー」だ。2曲ともわかったーと喜んでいるうちに、拍手も鳴りやまないうちに、石田泰尚氏、3曲目を弾き始める。ほかの組員も加わる。

♪ありがとうってつたえたくて~♪、いきものがかり「ありがとう」だ。

もう、これは、耳ではなくて胸に音が入ってくるようだった。

拍手鳴りやまず。

しかし、ちらほらと席を立ち出口に向かう人たちが現れる。

あらかじめ開始前にエリア毎の時間差退場をお願いします、とアナウンスがあったのにぃーと思いつつ、もう、母の事も気にしなくていい私は席についていた。私の列の人も誰も動かない。

ホールの照明が点いた。

と、その時石田康尚氏、バイオリンを手に再び舞台に登場する。

声を出してはいけないが思わず、のどの奥で「ええっ!」と言ってしまった。

マイクに向かって「もう1曲やります」という。

超有名なクラシック曲、恥ずかしながらこの時は何だか曲名がわからなかったけど。

もう、そんなことはどーでもよかった。

この演奏が終わった時の拍手の起こり方はドッと湧きおこるようなもの凄い拍手であった。声は出せない、スタンディングオベイションもできない、しかし、渦巻く拍手を聞きながらいくつもの「ブラボーッ!」の声が脳内にこだましていた。

最後は組員全員が舞台に登場し一列に並んで挨拶。客席に向かって手を振る。私もうれしくて、両手を振った。

 

私はつくづく思った。

コンサートも演劇も、フィギュアスケートも、あらゆるほかの公演もスポーツもそうかもしれない、作り上げるのはアーチストやパフォーマーや、それを支える人々の送り手だけじゃないんだ、受け手である私たち観客もその一人なんだ、と。

早く収束してほしいコロナである。

 

帰り、やはり4階はキツい。このホールのエスカレーターは3階までしかない。4階には3階から階段を使わなければならない。行きはいいのよ。まだ。だけどこの年になると2時間半も座っていると足が固まっちゃうのだ。きっと4階席は若い人のための席なんだろうな、なんて思いつつ階段を下りた。

家に帰ってアンコール最後の曲は何だろう?と思ってスマホに向かってメロディを鼻歌で歌ったりして、苦労して「アルルの女」だとわかった。そのあとパンフレットを良く見たら神奈川芸術協会のホームページかツイッターでご確認くださいと書いてあった。ホントにまぬけである。

 

すっかりファンになってしまった、石田組。

きっとまた近くでコンサートがあるだろう。きっと行くぞ。その時は早めにチケットを買って、もうちょっと良い席で楽をしたいなーと考えている。